KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

福効医院にて胃腸探訪

充実の3月であったが、一点の曇りもないという訳ではなかった。

動き回る日中、意識にのぼることはない。
夜ベッドで横になってはじめてそこに意識が向いた。

みぞおちの下、胃のあたりに違和感があった。
痛みにはほど遠い。
しかしほのか静かにジンとくる感じは、いろいろな想像を掻き立てた。

常日頃から幸福で、味わいたいと望むこと感じたいと思うことの大半をこの半生ですでに享受し尽した。
そのような満足感があるから、いつなんどき無の世界に吸い込まれても後悔はない。
そう高を括っていた。

ところが、胃を巡ってのいろいろな想像のあと決まって息子の顔が浮かんで、そうなると未練のようなものが生じた。
未練振り払うのは容易なことではなく、せめてもう少し彼らの顔をみて暮らす日々があって欲しいと切に望むような気持ちになった。

だから、意を決した。
4月に入って胃の違和感は雲散霧消していたが、専門家の見解を得るに越したことはないと判断した。

「家族のようにあなたを診ます」と言えば天六の福効医院。
桜も満開のピークを過ぎた昨日金曜、わたしは福効医院を訪れた。

南森町から天神橋筋商店街をまっすぐ北に向いて歩く。
いつ来ても活気あって賑わう大阪屈指の商店街である。

日本一長いと言われる商店街を抜け右に折れるとすぐの場所に福効医院が見えた。

これまでの人生を通じ胃カメラの類を経験したことがない。
鼻から管が入っていく様を思い浮かべると、それが何か拷問のようにも思えて気が滅入る。

この期に及んでも臆病風がつきまとい続けていた。

わたしは自らに喝を入れる。
胃を診てもらうと決めたのは他でもない、自分なのだ。
怖気づいている場合ではなかった。

福効医院はちょうどお昼の休憩が終わったところだった。

院長が待合室で来院者らと談笑している。
その様子にほのぼのとした温かみを感じ、わたしの不安は急速に和らいでいった。

てきぱきと段取りが整えられ、わたしは処置室に案内された。
看護師がつきっきりになってこれからの流れについてとても親切に説明してくれる。
住んでいるところの話など雑談も織り交ざって、会話の方に気が向いて、恐怖に焦点結ばれガチガチになっていたわたしの思考もまた解きほぐされていった。

液状の麻酔薬を鼻から注入されてまもなく院長の登場となった。

院長の巨漢をこれほど頼もしいと思ったことはなかった。
まさに大船に乗ったようなものであった。

もはや恐怖のようなものはなかった。
わたしのなか巣食っていた恐怖は、巨漢を前に尻尾巻いて逃げ去ったのだった。
心安らか、すべてを巨漢に任せるような安寧をわたしは感じていた。

そしてほんとうにあっさりあっけなく、管は鼻をスルスルと通って喉を通過し食道を経て、目的地である胃へと達した。
モニターに映るその道中をわたしは注視していたが、洞窟アトラクションか何かの映像を見ているようなものであった。

院長が手慣れたガイドのように「洞窟」各所について軽妙洒脱な語りでもって解説してくれる。
深刻に捉えるべき問題は何もない。
見れば一目瞭然。
あれこれ想像し気を揉むより、はるかに明々白々、シンプルな話であった。

ピロリ菌検査のための組織採取も全くの無痛であった。
そもそも「洞窟」には痛覚などないのだろう。

のべにして所要15分だろうか20分だろうか。
無事に検査が終わった。

終わってみればあっという間のことであり、痛いとか苦しいといったこととは無縁。
管が鼻を通過する際ほんの少し不安を覚えるが、それでうめくとかのけぞるといったような話でもなかった。

検査に備え、わたしは朝から何も口にしていなかった。
朝食も昼食も抜いていたので腹が減って仕方なく、検査終われば、あれを食べようこれを食べようと思い巡らせていた。
が、検査後2時間は胃に何も入れないようにとの指示を受けた。

だから結局この日の夕飯が、朝昼晩の食事を兼ねることになった。

場所は芦屋の名店、安愚楽。
この夜、ここに安本会のメンバーが集まった。

和の洗練、数々の素材が調和した円熟の味を堪能することになった。
まさに大人の味わいと言え、ひとまわり成長できたと実感したこの日、わたしにとって忘れ難い食事となった。

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Shirley BakerTwo young boys peer down a drain, Manchester, 1963.