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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

母親が良好な生活空間を編み上げる

何でもないような、それでいて生活の実質が伝わってくる話に触れると嬉しくなる。

昨夜、部活を終えた二男はまっすぐ西北に向かっていた。
とても家に戻っている時間はない。

二男の動きを読みその到着時刻を見計らい、家内は動いた。
目論見通り。
ドンピシャのタイミングで家内は二男の姿を改札で捉え、携えた弁当を手渡すのに成功した。

写真が挿絵となってその様子が家内からわたしに送られてくる。
仕事の合間、そういった一コマにチラと目をやり、わたしは頬を緩める。

ほとんどの時間わたしは家を留守にしているが、家では家族で織りなす日常が繰り広げられている。
その日常のシーンにときおり友人らが混ざり、また近隣の面々も加わる。
数々の交流が連なって、家を発信源とするエピソードは絶えることがない。

先日は、近所のママ友にうちの息子らのお下がりをあげて喜ばれたという。
子らはたちまちでかくなり一時期を飾った衣服はもはや身丈に合わないが、そこんちの野球少年のガタイにはピッタリとフィットしてサマになる。

誰か知らぬ者が袖を通した服であれば不気味だろうが、見知った近所の兄貴分が着ていたものであり公園でしょっちゅう遊んだ仲でもあるから、弟分として後を引き受けるのもやぶさかでない、というようなものだろう。

こちらとしては大事な思い出の品が受け継がれていくことが嬉しい。
服だけでなく読み終えた本や漫画も同様に近所の弟分に渡って有効活用されていく。
これまた嬉しいことである。

隣家の家族とも仲が良く互いの家を行き来し合っている。
そういった流れが自然に生まれているものだから、家を空ける者として心強さのようなものを感じる。
隣家の娘さんらをちょくちょく招いてテーブル囲み、家内は姉貴分としての役割も楽しんでいるようだ。
今度は一緒に旅行にも出かけるというから何だか心温まる。

暮らしの中心である家が良い交流の場となっていて安心。
上っ面飾っただけの見せかけの付き合いではなく、ちゃんと人を大事にし、きちんと人と付き合う家内のスタンスがあってこそのことなのだろうと思う。

良好な生活空間を生み出し長続きさせる母親流儀から息子らも多くを学びそのエッセンスを汲み取っていることだろう。

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Bert Hardy, Neighbours, Vaughton St, UK 1954.