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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

地獄の沙汰もカネ次第

予定の面談時間よりも早くに着き、従業員の休憩室に通された。
テーブルのうえ色とりどり雑誌が置かれるなか、「資産1億円超えは意外と簡単」という見出しに目がいって週刊スパを手に取った。

パラパラめくるが中身はまるで青年図書といった趣きである。
若き青春の頃をチラと思い出す。

ページめくって目当ての箇所に行き着くとそこには金森重樹さんの姿があった。
不朽の名作『お金の味』の著者である。

目を走らせ、次の言葉で目が留まった。
『高収入であっても周りの生活水準に合わせてしまうので、お金が案外残らない。
準富裕層の人たちは、タワーマンション、外車、育児教育という“見え”をはるあまりジリ貧になることが結構多い』。

おお、金森節は健在だ。

氏が著した『お金の味』は必読の書である。
夢中で読んだのは何年前のことだろう。

地獄の淵から見事舞い戻った著者だからこそ成せる、お金のリアルについての渾身のドキュメンタリーとなっていて重く貴重な学びを得ることができる。

いつか子らにも読んでもらいたい。
そう思うからわたしの書棚最上段にていまも中央の座を占めている。

座右の銘としたくなるような含蓄ある言葉に満ちており、だから本の上部から多年草のように付箋がはみ出て生い茂っている。

ことあるごとに財布の紐が緩みそうになるこのご時世、消費を思い止まらせる働きかけはなきに等しく、だからこそ、氏の教えはたいへんに誠実で真摯なものであると言え、その見識に勇気づけられもする。

なかでも、誇示的消費を戒める氏の言葉は必ず子らにも伝えるべきものだろう。

氏によれば、人の主観はステージによって異なり、その立場に至らなければ理解できないものなのだという。

例えば、お金の扱いを身につけ財を成した富裕者は、何でも買えるだけの財力を有するからこそ、もはや消費活動に快も喜びも感じない。
資産形成や投資活動に努力傾けるようになるから、誇示的消費にうつつ抜かすことなどあり得ないということになっていく。

ところが一方、富裕への道半ばの者にとっては消費はあくまで快であり高揚であり、コンプレックスがエンジンになる場合には更に貯蓄即消費という自傷行為的な誇示的消費に溺れ明け暮れ、結局、富裕からは遠い存在のままお金に汲々とし続けることになる。

この話を読んだとき、幾人も具体的な登場人物が頭を過ぎったものであった。
わたしが知るなか、もっとも富裕な方々三者は、一見まったく富裕に見えない。

また、蝶よ花よのキラキラピカピカの誇示的人物についても心当たりあったが、その実像はお世辞にも富裕と呼べるものではなく、地味に質素に市井で暮らす普通の方々をも下回る懐事情とさえ言えるものであった。

今後ますます格差は広がり、時代の空気は世知辛い。

お金に対して脇が甘いと、比喩ではなくて地獄が待っているといっても大袈裟ではないだろう。

たとえば、時代の趨勢からみて、われわれのうち大半は老後を介護施設で過ごすことになる。
お金があれば至れり尽くせりの環境を得られるが、お金がなければ、これはもう涙も枯れる。
そうなれば、地獄が絵空事であった時代が懐かしいというようなものだろう。

地獄の沙汰もカネ次第。
お金にまつわる切実を誰もが思い知らされることになる。

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Willy Ronis, Summer holiday, 1946.