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KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

何か残ればそれで僥倖

上着を肩に引っ掛け、南森町に向いて天神橋を渡る。
午後の日はまだ高く強い陽射しが降り注ぐが、川を吹き渡る風があって橋の上だけは清々しい。

すれ違いざま、一人のご老人の姿に目が留まった。
見たところ八十は過ぎている。
長きに渡っての風雪降り積もり腰はすっかり曲がっているが、スニーカーで歩く足取りは確固としている。

首から提げるNikonのカメラが更に目を引いた。
腕前はプロ級、そうカメラが雄弁に語っているかのようであった。

歳はとっても写真への意欲は衰えず、今日も街へと繰り出し会心のショットを狙う。
そんなご老人の姿がわたしの目に鮮烈に映った。

いつか地続きでわたしも老いる。
そうであってもこのご老人のようにベストショットへの探求を続けらればどれだけ素晴らしいことだろう。

生きて在ればその一日に、燦然と目に焼き付くシーンが幾つもある。
いつの日かさしもの健脚にも陰りが訪れもはや写真は撮れず、やがては無の世界へと迎え入れられることになる。
しかし、これまで捉えた数々の場面は写真として永久に残る。

そう思えばそのご老人の姿が生きて在ることの本質的な何かを体現しているようにも見えてくる。

今朝目覚めわたしが階下におりた時間は朝の5時であった。
すでに家内は起き出し家族の弁当の支度を始めていたのだが、なんとベランダで肉を焼いていた。

子らが肉がいいと言ったにしてもそこまでするのかとわたしは驚き、朝っぱらから感動のようなものを覚えた。

手作りの海苔巻きと二食分のサラダ、そして焼肉弁当を助手席に乗せ、わたしは職場へとクルマを走らせそして思った。
今朝のシーンを生涯忘れることはないだろう。

すれ違ったご老人は写真であったが、わたしは日記で。
遠い将来、日記を読んだ子らの胸のうち、皆で暮らした場面の幾許かでも再現されるなら、こんな嬉しいことはない。

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André Kertèsz, Royal Bridge, Paris 1963.