KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

子豚の形した貯金箱のようなもの

仕事を終えクルマを発進させる。
聴き馴染んだ曲が柔らかな被膜をつくって空間がふんわり人型に閉じる。

あれやこれや千々乱れる大立ち回りを経てようやくの安息。
あとはもうゆるゆると自分に回帰するだけの時間となる。

人型の被膜にカラダを預け揺蕩うようにして運ばれる。

まもなく和らかの湯。
まずは定石通り炭酸泉に横たわる。
じんわり疲労が癒えていく。

このところ夏日が続く。
だから合間に水風呂も欠かせない。

疲労がカチンと凍結されて、続いて湯に入ればそれらがこなごな粉砕されて爽快。

帰宅し、疲労鎮圧の仕上げは家内施術のヘッドスパ。
ニュースを横目に見つつ、家内の話に耳傾ける。

この日、家内の友だちが我が家を訪れた。
その友人の子育ての思想のようなものに触れ家内は大いに感心させられたのだという。

生活全般に渡って倹約を旨としつつも、子にまつわる暮らしの充実には出費を惜しまない。
子が方々からもらう小遣いには一切手を付けず貯金し、一方で、習い事にはお金を使い、値の張る楽器の購入を躊躇うこともない。

つまり、子のお金には一切手を突っ込まず、子のプラスになると踏んだことに関してお金に糸目をつけない。
加えて貯金も欠かさない。

なぜなら、将来、何が起こるか分からない。
油断大敵、備えあれば憂いなし。
ご自身がそう実感する人生であり、そう骨身に沁みている。

だから先立つものを日々蓄え、かつ同時、将来の糧となるよう子ども本人に充実と幸福を体感させてそして能力が備わるよう心を配る。

なるほどね。
感心しながら話を聞いて、わたしは寝言みたいに家内に言った。

親なら誰だってそうだろう。
よほどお金が余っているのでもないかぎり、子があるのに自分のために散財するバカな親など滅多にないし、子のためいくらかでも有益な存在であろうと願うのが親心というものだろう。
それが人の世の秩序というもので、そんな風にバトンを次代に渡してきたからこそ人類は生き永らえ、社会を発展させることができたのだ。

すっかりアロマでほぐれて、一日を通じて散って乱れた心身がきちんと定位置にて整った。
家内に礼を述べ寝床に向かう。

あとは寝るだけ。
朝の訪れとともに、完全蘇生が果たされることになる。
そして夜が明ければまた全力投球。

そうそう、親なら誰だってそうなのだ。
しがない稼業に携わるわたしだって同じこと。

子ども自体が、子豚の形した貯金箱のようなものと言えるだろう。

自分で使うより、未来そのもの、その貯金箱に託した方がはるかにいい。
ただただそう信じて親は今日も明日も全力投球するのである。

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Izis Bidermanas, Selling flowers in the rain, Paris 1950.