KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

二万語の語りかけ


空は快晴。
窓全面から光がそそぎ込んで、微風に乗って新鮮な空気がリビングに満ちていく。

ステレオから流れる音楽はニューシネマパラダイスのテーマ。
日曜日の朝は素晴らしい。

ゆったり腰掛けコーヒー飲みつつ新聞紙面をめくる。
日頃、新聞などざっと目を通すだけで精一杯。
新聞を読むなど休日ならではのことである。

数年前のこと。
読まずに堆く積もるだけの新聞が目に触るようになって購読をやめた。
以来、用があるときだけ買って用が済めばその場で捨てるというスタイルにしている。

ひょっとして何か大事な記事があるかもしれないと思って結局毎朝買うのだが、せいぜい一つくらい目に留まる記事があれば儲けものといったところだろうか。
たいていは小銭を捨ててしまったような気分になる。


幸いこの朝は、読むべき箇所があった。
朝日新聞の特集が幼児教育。
「5歳までの旅支度」と題して、幼児教育の現状がざっと俯瞰されている。

海外事情を含めた様々な切り口で話が展開されていて読み応えあり有益な知見を得ることができた。

貧困対策として幼児教育は威力を発揮するが、どうやら英才の育成においては効果のほどは定かでないということのようである。

少し考えてみれば当然で、育児放棄や虐待に晒されるような境遇の子どもに対しては、教育などと大上段に構えずとも、単に褒めて頭を撫でてあげるだけでも効果がありそうに思える。

英才教育についても、そもそも英才であるかどうかも分からないのに英才教育を施すなど順序が逆であって、効果のほどが見えないのも当たり前のことだろう。

英才以外に為される英才教育など滑稽を通り越してもの悲しい。

羽もないのに飛べと親に鞭打たれるのだとしたらサーカスにでも売られてしまう方がマシ、わたしがそんな立場に置かれたきっとそう思うに違いない。

で、今回の特集記事の結論を一言にすれば、愛情をもって子に語って聞かせることが大事ということになるだろう。

人間は言葉を聞くことで進化してきた。
耳から入る言葉は脳の発達に欠かせない「栄養」である、という言葉が強く印象に残った。

幼児教育というテーマから分け入って各現場を渉猟し、結局は親として肝に銘じるべき心構えに行き着いたと言えるだろう。

子育てにおいてあれもこれもとなりがちな風潮があらゆることを手段に貶めてしまう。
それでうっかり子どもであることそれ自体で満たしてあげることを親が忘れてしまえば本末転倒となる。

遊ばせて語って聞かせる。
あとは、子が勝手に伸びていく。
そう思って子に接するのが、親子双方にとって幸福なことである違いない。


語って聞かせるということでいえば、家内は最強の部類に属する。
昨晩、子らが留守であったので家内と向き合って一緒に食事したが二万語の喋りは健在であった。

長男の学校でも二男の学校でも良好な関係を広げていて、それらの話が尽きない。
話が面白く飽きがこないので、わたしは一週間ぶりのお酒であったがビールに始まりどんどこ進んで最後にはワインまで空けることになった。

その二万語の恩恵を子らも享受している。
お腹のなかにあった頃からその語りかけは始まり今なお続いている。

エコーに映る小さな君たちに名前をつけてお腹に向かってさかんに話していた様子はわたしの記憶に鮮明で、その場面を目にしていない君たちには必ず伝えておかねばならないだろう。
ちなみに誕生前の君たちに稚児名があったこともいま明かしておこう。
豆太と豆吉。
どっちがどっちであったか、それはもう思い出せない。

子らを放置するような場面は一切なかったし、何かあってはいけないと目を離すこともなかった。

ようやくいまになって、子育ての手が離れたと言えるかもしれない。
それはそれで少しさみしいことではあろうが、二万語の語りかけ自体が止むことは当分の間ないように思う。

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Willy Ronis, Clermont Ferrand France 1941.