KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

今放たれた親心が何十年後かに着地する

早く帰っておいで、とメールが来る。

今夜は肉を焼くという。
まだ日の残る明るい夕刻、ベランダで家内と二男が食事する風景が送られてくる。
ステーキの焼き目の香ばしさが写真から伝わってくる。
赤ワインを片手に持つ家内も肉を頬張る二男も笑顔満面だ。

やっとのことこぎつけた週末。
さっさと仕事切り上げて帰りたいとの思いもあるが、ある程度の支度をしておかないと週明けのスタートに支障が出る。

ちょっとしたこと、グランド整備程度くらいでもしておけば快調に滑り出せる。
だから、まだ帰れない、それに今日はお酒は飲まないと返事し意識のチャンネルを変えた。

家族が幸福であればそれで十分。
それで心置きなくわたしは役目に安住できる。

月曜の書類を整えエントロピーの増大しきったデスクまわりを整理する。

そして最後の仕上げ。
帰途の車内と週末に聴く音楽をiTunesストアからダウンロードした。

二男のリクエストに従って、サム・スミスとエド・シーランの計48曲。
これで家族それぞれ半月は楽しめる。

いつもの道を通っていつもの手順どおり和らかの湯に寄り、自宅に戻ってこの夜も耳つぼの施術を受けつつ家内の二万語に耳を傾けていると、長男が帰宅した。

即座わたしは捨て置かれ、家内はキッチンに向かった。
わたしに役目があるように家内にも手を抜くことのない役目があるのだった。

子にきちんとした食事をさせる。
そのためなら朝であろうが夜であろうが、支度は一切苦にならないといった風に見える。

夜11時前、肉焼く香りが立ち込めた。
長男が食べ、その様子ほど家内にとって嬉しいことはないようで、更に肉が焼かれることになった。

スーパーで調達した肉であっても、手がかかって愛情も込められている。
いま放たれた親心が子らの胸に届くまでにはかなりの時間を要するだろう。
値付けようもないほど高価な肉を食べていたのだと、彼らはいつか知ってひどく懐かしむことになる。

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Jean Dieuzaide, Nazaré, Portugal, 1954.