KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

当たり前のことを当たり前にする

数年に一度の大雨が降る。
天気予報を聞いて、じゃあ学校が休みになるかもしれない、長男も二男も多少の期待は持ったようであった。

予報のとおり夜半から雨が振り出し、明け方には雨が勢いを増した。
ちょうど登校の頃合い、市内に洪水警報が発令された。

が、二男の学校では洪水警報だけでは何の影響もない。
土砂降りの雨のなか彼は普段通り学校に向かった。

一方、長男の学校は事情が異なる。
1つでも警報が出れば自宅待機。
朝10時の時点で警報が発令されたままだと臨時休校となる。

雨雨降れ降れもっと降れ、わたしのいい人連れてこい。
不謹慎にも彼はそう願ったのだろうか。
願い虚しく、8時過ぎには警報が解除となった。

二男に続き長男もまた学校に向かうことになった。

子どもたちとは異なり、仕事人の日常には警報など全く関係しない。

雨が激しく傘が何の役にも立たない。
プールに入る前にシャワーを浴びるみたいに横殴りの雨を全身に浴びて駅まで歩き、始発電車を使ってわたしは職場に向かった。

このところ電車で通勤することは滅多にないので、見知った早起き鳥らとホームで顔合わすのは久々のことだった。
朝一番で大阪へと向かう顔ぶれは決っているが、見知っていても言葉は交わさない。
ああいるね、と互い黙って思うくらいのものである。

そして子らに伝えねばならないが、この「ああいるね」が実のところ最強なのである。
飛び抜けた才能や技量以上にものを言うのが「ああいるね」なのだと早くから知っておいた方がいい。

どんな世界であれ上にいる人は、這い上がってそこに至ったというよりも、いつのまにか周りの人がいなくなった、という感じ方をするという。
つまり、気張らずともそこに居続ければ、いつの間にか周囲が脱落していくというのが上下形成の摂理のようなのだ。

言い換えれば、倦まず弛まず当たり前のことを当たり前にし続ける、ということになるだろうか。

当たり前のことを当たり前にするだけで、信頼得られて人間関係も安定する。
そういった土壌に支えられてこそ、自らの力も大きく伸長していくことになるのだろう。

意外や意外、ショートカットは目の前にあるという話でもある。
そうと気付けば学校が臨時で休みになるなど「当たり前」のペースが乱れて迷惑極まりない、そんな風に感じられるのではないだろうか。

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Leonard Misonne, Waiting at the Dock 1915.