KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

怒りの阿修羅に後ずさり

怒りが怒りを呼んでプルル震えて、額の青筋が火花走る導火線のようにも見えてきた。

何に腹を立てているのか定かではないが、ここは日常の空間。
市井の民が行き来する何の変哲もない駅のホームである。

はらわた煮えくり返るほどの大事があったとは思えない。

次第エスカレートし、何かを訴えるというよりは、怒りに身を任せることの甘美に陶酔しているだけといった風にも見えてくる。
たかぶる感情の加速感に忘我となって、恥も外聞もなく汚らしい恍惚を辺り構わず飛散させているようなものである。

こうなれば誰も手をつけられない。
その快楽の自動増殖を遮ろうものなら命奪われるような事態に至りかねない。

まさに頭に血がのぼればノーフューチャー。

あまりの悦楽に痙攣したようになって思考回路は破損し制御は利かず、存在自体が汚物のようになっていく。

彼に怒鳴られ怯えているのは家族だろうが、一度でもこんな風に怒りをぶつけられたら人間関係は瞬時に木っ端微塵だろう。
たとえ今の怒りが収まったとしても、いつまた噴火起こるか知れたものではなく、彼の十八番が癇癪のようなものであろうから、家族は怒りの地震列島に暮らすようなものと言え、気の休まる暇もないはずだ。

一緒に暮らすなど苦しいことであるに違いない。

ひとつの家族の崩壊を目の当たりにしている、そう思ってわたしはを彼らを遠巻きにしていた。
が、電車がホームに入った途端、景色が一変しわたしは驚愕することになった。

彼をジャックしていたはずの怒りは、電車の到来とともに跡形もなく姿消し、彼は憑き物落ちたみたいにたちまちのうちに鎮まった。
そしてそれだけではなく、さあ、乗ろう乗ろうといった風に家族間の連携が何の違和感もなく再生し始めたのだった。

炸裂する感情表現すら生理現象みたいなレベルで日常なのだと、下町の屈強と猛々しさにわたしは感心させられるような思いとなった。

しかし、そもそもわたしも下町育ち。
誰かが大声で怒鳴るなど別段珍しい話ではなく、驚くほうがどうかしている。

ここらではごく標準的な怒りの阿修羅に後ずさりしたなど、わたしも甘い水に慣れすぎたものである。

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Margaret Bourke-White, DC-4 Flying Over New York City, 1939.