KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

疲労のあるとき、ないとき

疲れが溜まるとろくでもない。

朝なのに勢いが出ず、なんでもない作業でさえ億劫に感じる。
疲労物質が気の巡りを阻害しているのか感度鈍ってすべてがおぼろに感じられる。

これで無理をすれば事態は悪化し鬱症状を招くということになりかねない。

その昔、日頃は活力みなぎる事業主が言っていた。
疲労を放置すると鬱になる。
そうなると数行の文字さえ頭に入らず、二桁の足し算もする気になれない。

疲労が極大化すると確かにそれに近い状態になると感じる。
だからその話を聞いて以来、疲労を甘く見ることはなくなった。

開店の時間と同時、マッサージ屋に電話した。
いまは疲労に焦点を当て、それを駆逐するのが先決だ。
が、予約でいっぱいで昼の時間まで空きがない。

低速モードに切り替え、なんとかそこまで持ちこたえることにした。

疲労に覆われると頭に浮かんでくることもろくでもない。
防御のガードが下がるのだろう。
普段なら意識捉えることのない、過ぎし日の陽炎のようなパンチが蘇って顔面をヒットする。

いつのことだったか、飲み会の場。
興じて喋ろうとして、制された。

「おれらはレベルが高いんじゃ、おまえが喋るな」
年上の方にそう一喝されてそれで話すのを控えたのであったが、そんなことをいま思い出したところで実になることは何もない。

疲労は不毛。
そうと重々知るものの疲れているので俊敏に意識のチャンネルを変えられない。
どんなことからでも汲むべき糧はあるだろう、仕方なくその記憶の模糊とした景色のなかしばらく滞留することにした。

思えばその職業者からすればわたしなど低きに属する者、だからその言葉自体の真偽を問えば真である。
深い意味なく弾みで口を衝いて出たような言葉であろうからその語を発したご当人に悪意はない。
それに言われたわたしも、そのくらいの言葉ひとつで何か揺らいで心痛めることもない。

つまり蒸し返すに値にしない話であって、誰がどうという話でもない。

ただ、世にはそんな意識が21世紀のいまなお実在しているということを、思い出しついでに子らには伝えておくべきなのだろう。

頭が高い、控えおろう。
一語に集約すればそんな言葉になるだろうか。

そんな内心がこの世に実在し、ひょんな拍子に姿をのぞかせる。

もしわたしのような立場に置かれたら、素直に控えるのが最善だろう。
そのような文脈に抗っても詮無いことであり、控えて失うものは何もない。

ムキになって向こうを張れば同じ次元での綱引きになるだけであって、有意な何かが生まれるはずなく無益なことこのうえない。

控えてしまえば、暖簾に腕押し。
それでTHE・END、めでたしめでたし一件落着となる。

そんなことを考えている間にようやくマッサージの時間が到来した。
はじめて担当してくれるおじさんの施術であったが、これがパーフェクトであった。
正確無比に余さず凝りの集積地をもみほぐしてもらえた。

こんな日は職場に長居は無用。
さっさと引き上げ風呂に寄ってカラダ温め帰宅する。

仕上げは、家内の耳ツボマッサ。
アロマ塗布してもらって丹念に頭部から首筋にかけて手当てしてもらい、痛いというほど耳ツボを押してもらう。

その最中、長男が帰ってきて家内の横に座ってパソコンを操作し、わたしは彼に見下されるような形でパソコンについて語り合うことになった。
そしてそうこうするうち、二男もリビングにやってきた。

荷造りの様子を横目にするが、家内が取り揃えた品を見るだけで当地での楽しい交流の場面が目に浮かぶ。

侍セットがあり忍者セットがあり、駄菓子があり、どんべいがあり、数々のベタなパーティーセットが勢揃いしていた。
ちょっとしたサンタみたいに彼は必ずや向こうで人気者になることだろう。

施術を終えた後、家内がいま流行りだという甘酒トマトジュースを作ってくれる。
トマトをミキサーで潰しそれを甘酒でブレンドする。

結構うまい。
そう感想をもらしたせいで、甘酒トマトの水筒を次の日もたされることになってしまった。

すっかり疲れは癒えて、昼に何を考えていたかなどきれいさっぱり忘れてしまった。
これでまた元気に仕事がこなせる。

ささやかではあるけれど持ち場があって役割がある。
わたしはわたしが受け持つパートにおいてベストを尽くす。
それ以外、できることはなにもない。

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Roger Viollet, Folk musicians touring the European countryside by bicycle.