KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

習慣化という方程式

鞄に水泳セットを忍ばせ行き先にプールがあればそこで泳ぐ。
駆け出しの頃はさほど忙しいわけでもなかったので、そんなのどかな過ごし方が可能だった。

いつしか煩忙の波が押し寄せそんな牧歌的な日常は掻き消えた。

それでも週末はそこそこの距離を走るなどして運動は欠かさなかった。
インドア派を自認するにせよ、もともとがカラダを動かさずにはいられないタチである。

が、自営業の定め。
日常の輪郭は仕事の間隙として形作られる。

忙しくなれば不要不急の活動からすぼまっていくということになる。
その最たるものが運動だった。

だから最近は、運動するという習慣が日常の主勢力となることはなくなっていた。
運動しようとの試みが生き永らえる兆しは一向に見い出せず、運動の暗黒時代がこの先もずっと続くのかと懸念されるほどであった。

だがひょんなことから事態は打開され、今回は久方ぶり、運動するという習慣が日常の主導権を奪還しそうな勢いを見せている。

日曜に家内にジムに連れられ、カラダが目覚めた。
月曜にはジムに入会し、日曜に続いてハードワークをこなした。

気持ちよくて仕方なく、筋肉痛など一切ない。
もともとが丈夫にできている。
なまらせては勿体無いという話だろう。

事務所から駐車場へと向かう途上にジムがある。
カラダはそこでエネルギーを発散することの喜びを知っている。

習慣化という方程式に各種変数がばっちりハマる願ったり適ったりの状況と言えるだろう。

意志の力は一切不要。

意志の力は高くつく。
意志を恃みにすることは、高利貸しから借金するみたいなもの。
あとで反動あって、結局は成就から遠ざかる。

この歳にもなれば誰でも知っていることだろう。

例えば、早起きするとして、朝4時に起きると決めて自らに強いればこれは苦しく続かない。
が、目が覚めたら起きる、そんな自然体のルールであれば実行ははるかに容易い。

運動も同じようなことだろう。

運動するためどこかへ出かけてといった一プロセス挟むだけで、格段に習慣化は困難になる。
しかし、帰り道に前を通る場所ということであれば話は異なる。

運動が日常となって幸福感が更に増す。
なんだかほっとするような気持ちになって、とても嬉しい。

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