KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

今となっては遠い遠い昔の話

過去のカレンダーをスクロールしていて、やたらくっきり色濃い箇所があったのでそこで手を止めた。

数年前の年末年始の記憶がまざまざとよみがえってきた。

いまでこそ何事もなかったように平然と暮らしている。
が、そのときは、すべての瞬間が容赦ない緊迫感で呪縛されていたようなものであった。

冷静に振り返って状況を客観視すれば、何もそこまで肩に力入れる必要はなくもっと悠然とリラックして構えていてもよかったのかもしれない。

なるようになる、ベストを尽くそう。
そう笑って済む話であったようにも思う。

で、いまからそのときに戻ってそうできるかと言えば、まず第一に、戻るなど御免被りたい話であり、百歩譲って戻ったとしてもその異様な地磁気のなか置かれ落ち着き払って過ごすことなど土台無理な話だと断言できる。

なにしろ我が子のことである。
数年に渡って取り組んできた成果が一発勝負で問われ、残酷なまでに明白に白黒の決着がつき、後戻りもやり直しもできない。

受けるのは子どもであり、何が起こるか分からず、あくまで結果は蓋を開けるまで未知であり、頑張ったからといってそれが吉報に結びつくとも限らず、無表情に時は流れ流れて、刻一刻、その運命の瞬間が近づいてくる。

正気でいるつもりで正気でいられるはずがない。

スケジュールに残る記録によれば、大晦日の時点からわたしはお詣りを開始している。
思い立って向かったのが、彼が幼少を過ごした地。
その地の神社でまずは手を合わせた。

元旦は四天王寺と大阪天満宮。
翌日は墓参りに向かうが、あいにく路面が凍結していて霊園へと続く道路が封鎖されていた。
引き返さざるを得なかった。

前受け受験の前日は清荒神、門戸厄神、西宮神社をまわった。
8日、9日と前受けであったが、試験会場に向かう当日の朝、地元神社で手を合わせることも忘れない。

もちろん時間を見つけて、仕事中、職場地元の神社にも連日通った。
願を掛ける気合いは日を追うごとに増し、沈痛なほどの懇願調となっていった。

何もそこまでと滑稽に思えるが、それくらいしかできることはないとなれば、それをやってしまうのが親なのであった。

思えば恐怖に近いようなものに捉えられていたように思う。

数年越しのプロジェクトである。
激戦必至であり、吉凶の差は軽くあしらえるようなものではなく、誰の身に何が起こっても不思議はない。

楽観があぐらをかくふんわりした空気はどこにもなかった。

10日に墓参りし、その帰途、前受けの合格発表をネットで見た。
11日には早朝から繰り出し伊勢神宮に赴き、前日同様、帰途にまた前受けの合格発表があった。

本番を占う前哨戦。
その結果はあなどれず、まるでロシアンルーレット。
幸いこめかみを撃ち抜かれることはなかった。

そしていよいよ本番まで一週間を切った。
緊張感は右肩上がりで増していき、毎日の送迎の1場面1場面がストップモーションみたいに見えてくるようになった。

16日が塾の最終日。
統一入試日の前日である。

午後7時、上六で息子を家内とともに迎えた。

極限の心理状況に置かれたこの時期、家内とずっと二人三脚であった。
これほどまで心を一つに何かに取り組んだことは後にも先にもなかったのではないだろうか。

そして、時間はいまにつながっている。

あの頃、ヘビロテしたのは I Will Survive。
いまとなっては遠い遠い昔話のように思える。

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