KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

声なき声を感知する

日曜夜、子らは留守である。
家内と二人。
わたしがリクエストしこの日も餃子を焼いてもらった。
二人して餃子をつまんでビールを飲む。

このところご老人の話を聞く機会が増え、家内の二万語も趣き異なるものとなってきた。

わたしたちが疎いだけでつぶさに見れば、社会のあらゆる現場にご老人も駆り出され日夜労務に勤しんでいる。
家にいても暇だから。
働く理由をそう笑って話す割には携わる業務は容赦なくハードだ。

日中は工場で働き、その足で夜は居酒屋の洗い場に向かう。
40歳や50歳の働き盛りではない。
70歳を過ぎた女性である。

季節を問わず膝から下は毎夜棒のようになり、冬場は水のかかったカラダの冷えが翌日まで取れない。
その話ひとつだけで、ちょっとした家事とは訳が違うと分かる。

同じく70歳を過ぎた女性。
働く会社は5階建て。
その社屋を掃除するのが彼女の仕事だ。
屋上から一階まで。
もちろんトイレも階段も隈なく掃除しピカピカに磨き上げる。

一度体調崩し休んだとき、会社はまるで廃墟のように荒れ果てた。
掃除のおばさんが不在だからと掃除買って出る殊勝な者はどこにもおらず、女子トイレでさえ目を覆う有り様だった。

だから休めない。

もちろん毎日毎日がカラダとの戦い。
5階建てを一人で掃除するなど若者がしたとしても涙ちょちょぎれる重労働である。

一階から屋上まで。
毎夜、その掃除の行程が頭から離れず寝付けない。
それでも朝になると掃除に向かう。
彼女が行かねば会社は焼け野原のようになってしまうから。

日曜の夜、リビングにそれら女性の声が立ち上るかのよう。
彼女らの胸のうちについて夫婦で話し思い巡らせる。

日頃意識に留めないだけで、社会はそのような声なき声によって構成されている。
早朝の駅、乗り換えの電車に遅れまいとホームを駆けるご老人らの姿がわたしの頭に思い浮かんだ。

話題は子らへと移る。
そんな声を感知できる男子になってもらいたい。
そう話し合った。
自分を取り違えないため、勘違いしないためにもそれは大事な能力に違いない。

そして実のところ勉強よりもそちらの方が重要で、難しい定理や法則について知るよりも、昭和の歌謡を一曲でも歌えるようになった方が声を察知する感度は高まるのかも知れず、ならば、学校の勉強はほどほどに課外活動にこそ本腰入れた方が長い目で見て正しい、とも言えるのではないだろうか。

子らの話はいつまでも尽きない。

それぞれの現在地点は西宮北口とチェダーゴージ。
長男は近くにおり二男は遠くにいるが、いつだって夫婦の間にいることに変わりはない。

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Henri Cartier-Bresson, Washerwomen on a frozen river, Souzdal. USSR 1972.