KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

無尽蔵に手数湧き出る何か

すべてがうまくいくわけではない。
場合によっては不本意な報告を耳にすることもある。

手を尽くしてのことであれば縁がなかったと諦めもつくが、たいていこういう場合は単に配慮と努力が足りなかっただけの話、目が行き届かなかったと悔やんでも後の祭り。
しばし、ほぞを噛むような思いとなる。

が、そんな無為な思いにとどまっていても埒あかないので、総括だけして前に歩き出すしかない。

攻撃は最大の防御。
そう自らに言い聞かせる。

取りこぼしても次がある。
攻撃に着眼すれば、失点を嘆くような気持ちもたちまち消える。

もちろん防御も大事であるが、防御だけだと息苦しくてやがて息が切れ長くは続かない。
攻撃に転じてこそ心躍って、ガッツ湧き出て、手数も増える。

これこそ好循環。
ゆったりのろのろ大振りしても決定打は打ち込めない。
手数が出てこそ成果につながるというものだ。

だから、手数出ない領域に自らの戦力を割かない方ががいいだろう。

話は飛ぶが外車の話。
いつ頃からだろうか、通りかかる場所にごっつい外車を見かけるようになった。
近所のおじさんの持ち物だ。

すげーとわたしは目を見張り、おじさんと顔合わせれば、凄いのに乗ってますねと感心し興味を寄せた。

ある日のこと。
異なる車種のごっつい外車が駐まっていた。
こんなものまで持っているのか、すっげーすっげーとわたしは目を丸くした。

が、あれから何年経ったのだろう。
その二台以外を見かけることはなく、目も慣れた。

そこに駐まるのは超高級車である。
それは変わらないのに、なんというのだろうか、えっ、これで終わり?といった白けたような印象の方がいまは強い。

やはりどうやら、モノだと分が悪い。

無尽蔵に手数湧き出る何か、それが大事でそこにだけ褪せない価値が宿って人を惹きつける。
社会に出るはるか前から知っておくべきことだろう。

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Alfred Eisenstaedt, Children watch the story of “Saint George and the Dragon” at an outdoor puppet theater in Paris, in 1963.