KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

そこで感じた何かがいつか意味を有することになる

ジムに通いはじめてかれこれ4週間。
33期夏会と安本会のときに休んだだけであとは欠かさず日参している。

自身のカラダの丈夫さに感心し、この歳になって親に感謝の念も湧いてくる。
何事もカラダが土台。
カラダの頑丈を実感することは何にも優る喜びかもしれない。

この頑丈が更にバージョンアップし子らにも引き継がれている。
そう思うと心丈夫で、二人の息子の存在が実に頼もしく感じられてくる。

金曜夜もジムに寄ってから帰宅した。
家内がわたしの帰りに合わせて夕飯の支度を整えてくれている。

生姜で漬けた冷製の鶏の胸肉。
疲労回復に覿面だそうである。
トロトロの半熟煮卵が添えられ食欲をそそる。

食事を始めると、家内はイワシの天ぷらを揚げ始めた。
イワシを食べると頭が良くなり脂肪も燃える。

今宵の生ハムは桃ではなくジューシーなきゅうりの上に横たわっている。

順々に食べつつ家内の二万語に耳傾ける。
デザートにスイカをもらって、エンディング。

家内の話を聴き終えて、わたしは一人金曜ロードショー。
この夜は『ヒトラーの忘れもの(Land of Mine)』。
デンマーク映画である。

終戦を迎えたとき、デンマークの海岸線には200万個もの地雷が残された。
捕虜となっていたドイツ少年兵らが、その撤去作業を強いられる。

2,000人もの少年兵が任務につき半数近くが死ぬか重傷を負ったというから、あまりにも酷い任務と言うしかない。
ドイツへの恨みを少年兵らにぶつけたも当然という話であって、戦争犯罪だと言えなくもないだろう。

映画ではその任務の過程が描かれる。
慎重にも慎重を期す必要があり、少しでも不手際あればカラダが吹っ飛び木っ端微塵となる。

いつ爆発するのか。
少年兵の身を案じれば案じるほど観ていて苦しい。

が、この苦しさこそがこの映画の主題であった。

苦しくなければ、実際にあったこの現実に向き合えず、その苛酷について全く理解が及ばない。
息も詰まるほどの緊迫を覚えるからこそ、厳粛な思いでその現実について考えることができるようになる。

子らにも必ず観てほしいと思える映画であった。

人間とは何なのか。
もしその場に居合わせたら自分ならどうするのか。

極限の局面に自らを置いて、そのひりひりするような状況のなかアーカイブされる思考体験、感情体験は、いつか何らかの場面で意味を有することになる。

だから思う。
トラキチだから野球みるのもいいけれど、そろそろ野球はほどほどに、その時間を映画に振り分けるのはどうだろう。
父としてそう意見しておきたい。

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Frank Horvat, Boxing boys, London 1955.