KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

実は幾種類もの時間が流れている

前に座るのは、フリーのコンサルタント。
その熱弁にわたしは引き込まれた。

コンサルタントが言う。

かつては勤め人だった。
自分のことをエリートだと思っていた。
が、あるとき労基法に目を通す機会があって確信を得た。

ほどよく手加減するため。
それが労基法の本当の存在理由なのではないか。

あまりに強く締め上げると反乱の内圧が高まって、暴発しかねない。
そうなると経済活動が滞る。
それでは台無しだ。

だから勤め人は守られることになる。
守られるのは、大切な資源だから。

生かさぬよう殺さぬよう。
士農工商というシステムは姿かたちを変えながら、昔からこの国に一貫して根付く洗練された様式なのだ。

エリートとおだてられていい気になって、しかしその実、時間も居場所もまったく自由にならず、ぎゅうぎゅう詰めの電車に毎朝揺られ、上司に小突かれ部下の顔色を気にし、女房にどやされ、週末だけが心の拠り所、これこそ人生と自らの小宇宙に刹那揺蕩う。

しかしたちまち週は明ける。
せり上がってくる嫌だという悲鳴を押し殺し、自らの時間と肉体を組織に捧げることになる。

一方、そんな枠組みとは全く無縁な生き方もある。

同じ日本でも異なる時間の流れが並存している。
例えば北海道で暮らす友人は好きなクルマにのって大自然のなか疾駆し地産の美味を堪能し、沖縄の友人は海に囲まれて暮らし日の出とともに起き午後3時を過ぎれば仲間とわいわい酒盛りを始める。
借金あって年収も低い。
が、いつも笑顔だ。

たった一度切りの人生、たったひとつのこの命、どうあるのが本当に幸せだと言えるのだろう。

そう気づいたコンサルタントに迷いはなかった。
これまで積み上げたものに何の未練もなく、いち抜けたとばかり見切りをつけ会社をやめて自営の道に踏み出した。

選んだ職種は専門知識を活かしてのコンサルタント。
腹さえくくればどうにでもなる。
すぐにそう知ることになった。

会社をやめれば奈落。
それは植え付けられた思い込みに過ぎなかった。

なんであんなことをやっていたのだろう。
いまは何かを強いられたり何かに追い込まれたりすることはない。
あとはキャッシュを貯めて、電話に出ないでも済む身になれば一丁上がり。

その時期は遠くない。
手応えは年々強くなっていく。

だから子どもにもそう教える。
巷間喧伝されるエリート像を追っても、思っていたようなエリートには絶対なれない。
それは鼻先の人参でしかなく、たいていの場合、その人参は釣り餌でしかなかったと後で判明することになる。

あんな風にはなりたくない。
そんな実物をいくつも直視して、どう身の振り方を考えるか。
幸せに至る道を照らすにはそうアプローチした方が手っ取り早い。

この日、わたしはほぼすべての時間を聞き役に回った。
わたしも道半ば。
思いがけず熱烈なコンサルティングを受ける意義深い夜となった。

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Agence Rol, Gymnastics in the courtyard of the school Lavoisier, Pierre Nicole street, Paris 1921.