KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

僅差で決着がつく

たまたまクルマで通りかかった時間がラグビースクールの集合時間と重なった。
容赦なく熱射降り注ぐなか、少年たちがバスの前で列になっている。

 

その様子を横目に通り過ぎつつ、家内と昔話になった。
数年前、小5だった二男も当時その列のなかにあった。

 

塾の夏期講習の間隙を縫うようにし、ラグビーの夏合宿に参加させたのだった。
お盆の数日くらい楽ちん快適に過ごしたいと本人は思ったに違いないが、待っていたのは灼熱のもとでの激しいぶつかり合いだった。


ちなみに兄貴の方は小5の11月まで主力として週三回ラグビーに明け暮れていたので中学受験を舐めすぎていたとも言えるだろう。

 

何かにつけ忙しく過ごしてきた子らの少年時代を家内とともに振り返り、夫婦互いが共有する手応えのようなものをそこに感じた。

 

わたしたちにとって充実の時間であり、もはや戻ることがない時間であるからこそ、いつまでもその話をしてしみじみ楽しいということになる。

 

子らそれぞれにとってもその過程で根付いた体感は貴重なものであり、先々大いに役立つことだろう。

 

単にカラダが強くなっただけではなく、時間や課題や対人というあらゆるストレス要素への耐性が培われ、ことに臨んでしのいで持ちこたえる身のこなしの基礎は備わったように思う。

 

だから、大人になっての仕事の局面、競り合いになったとしてそう簡単に誰かの後塵を拝すことはないだろう。

 

たいていのことに関して人の力は五十歩百歩。
なにごとも僅差で決着がつくと考えて差し支えない。

 

そこでものを言うのが、培ってきた体感。
当たり前のようにほんの少しこらえて、ほんの少し踏ん張っていれば、先に自滅するのは相手の方だろう。

 

辛かったであろうラグビーの合宿やその他もろもろも、ちゃんと力になってカラダに宿ったのだと思えば、灼熱の太陽でさえにっこり笑顔で思い出せるのではないだろうか。

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Henri Cartier-Bresson, Picking coal, Tyne and Wear, Newcastle 1978.