KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

上っ面だけで人を見る目は自らに刺さる

多かれ少なかれ、前にする人によって態度は変わる。

下町のおっちゃんを相手にするのと会社の事業主と話すのとでは、わきまえるべきことが異なるし、だから当然、言葉遣いも仕草も態度も違ってくる。

 

しかしそれは単にコミュニケーションの仕方が異なるだけのことであり、前者を見下し後者にへつらうということではない。

もしそうであれば、目線の上下動が激しすぎ品性下劣な話といっていいだろう。

 

が、知ってのとおり世には品性下劣が溢れかえっている。

着るもの身につけるもので値踏みし品定めし、取り入ったり、そっぽ向いたり態度を使い分ける。

そんな人たちがでかい顔して通りの真ん中を歩いている。

 

先日、地域ボランティアにたずさわった女性に聞いた話がまさにその上下動についてだった。

 

彼女は作業に適した装束に身をやつし、屋台でたこせんを焼いていたのだという。

 

そこに、派手目に見える気取った感じの女性が子どもを連れて現れた。

女性は子のためにたこせんを買い求めたのであったが、その態度は不快極まりないもので、明らかにたこせんの焼き手を見下していて、それは眉間や鼻筋、口元といった微表情にも表れて、言葉遣いもいちいちが命令調であった。

 

たこせん焼きに対する態度は、連れ立って一緒にいたママ友らに対するのとは全く別様。

 

もちろん、その気取った女性は、たこせんの焼き手が誰かなど知る由もない。

だから平然と黒子扱いで軽んじることができた。

地域のボランティアとは知らずそれを生業にしている人だとでも思ったのかもしれないが、公園でたこせん焼くからといって人を粗末に扱っていいはずがない。

 

世界を見渡すまでもなく、思慮浅くお高く止まった意地悪は近所の公園にもいるということである。

聞くところ、その派手目の女性は周囲から総スカンの小ウソつき、札付きの見栄っ張り女性だという話であった。

 

誰か他人をその上辺だけで上下に見る人は、同じ目線を自らにも向けるから、やや余計目に着飾り、流行を追い、気取った横文字を並べ、見栄が先走って話が小ウソだらけになる。

つまり、上を見すぎて視線がぐるりと回って下賤に至る、という皮肉なオチを体現する存在ということなのだが本人だけが気づかないので、なおのこと面白おかしい。

 

上っ面だけで人を見るその視線は自らに刺さって自身を貶めることになる。

子らにも重々言って聞かせたい話である。

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Georges Ancely, Biarritz, France 1883.