KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

最寄り駅で別れるのでは物足りない

新しい眼鏡を買おうと思ってどれくらいの月日が経ったのだろう。

 

日記を見れば一目瞭然。

使っていた眼鏡フレームのコーティングがはがれ、買い換えようと思ったのがちょうど一年前。

 

たまたま一つ前の古い眼鏡を家内が大事に取っておいたくれたので、ひとまずそれを当座しのぎの代用として使うことにした。

 

そしてそのまま一年。

新品を買うことなくお古で事足り、いまもお古をかけ続けている。

 

あれこれ忙しく些事については思考の外に追いやられることになる。

眼鏡だけでなく着る服はじめ身につけるものすべてに渡って無頓着。

身だしなみは整えても何か工夫したり手間かけたりするようなことは一切ない。

 

肝心要は仕事の中身。

通り一遍の格好に身を包み今日も明日も、仕事に神経を集中することになる。

 

おそらく仕事人なら誰もがそうであるに違いない。

仕事外で精神的なエネルギーを濫費することがないよう瑣末事については意識的な省力化を図っているはずである。

 

この日も眼鏡を買うのは先延ばしにし、さっさと仕事を済ませ引き続いては夕食の席の確保を優先した。

 

食事しつつ思い浮かぶのは息子らの顔。

上の息子は食べてくるが、下の息子はどうなのだろう。

 

二男に連絡してみた。

こっちに寄るか、それとも何かみやげでも買って帰ろうか。

 

夕飯は済ませた、と二男から即座返信があった。

部活の後、皆でラーメン屋に寄った。

学校前にできたばかり、ちょんまげ食堂夕陽ケ丘ラーメン部はわりと美味しかった。

 

部活を終えた後に食べるラーメンは旨いに決っている。

一緒に汗を流した仲間と食べればなおのこと旨さ増す。

 

彼らの様子が目に浮かぶ。

 

ああ食った食ったと満足げ、彼らは少し遠回りとなるが天王寺駅まで連れ立って歩く。

最寄り駅で別れるのでは呆気なくて物足りない。

天王寺まで約15分、一日を総括するのにちょうどいい距離である。

 

彼らについては中1を起点に高1を経て101くらいまで密な関係が続くことだろう。

 

思い浮かべるだけで満ち足りたような気持ちになれる。

やることはまだまだ残されている。

わたしの意識に眼鏡が登場するのは当分先のことになりそうだ。

f:id:KORANIKATARUTOKIDOKI:20170911135711j:plainRobert Doisneau, Panne d'essence1955.