KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

雨よけのためのちょっとした心得

日頃は善良で温厚な人柄の方であっても、あたりどころ悪ければ機嫌を損ねる。

それで相手が不機嫌を露わにするようなケースは滅多にないだろうが、腹の奥底、何か煮えたぎるようなことがあるのは人間だから当然で、積み重なれば人間関係はジ・エンドということになりかねない。

 

だから、よほど注意深く誰かの感情を害すことがないよう振る舞うのがエチケット、世を渡るための最低限の交通マナーと言えるだろう。

 

ヒトもまた動物。

そう知っておいた方がいい。

 

野生の猿を睨めつけたり歯を見せればそれは威嚇行為となって抜き差しならない事態を招き寄せる。

ヒトが相手でも同様。

 

余程のことがない限りクラクションは鳴らさない方がよく、往来でもガンを飛ばしたり肩をぶつけたり足を踏んだりというようなことはない方がいい。

 

公共の場でいらぬ摩擦と衝突が生じぬよう、笑顔で腰低く接する、人は人で流儀を洗練させ様式を整えてきた。

 

知性ある人ほどそのようなコードの意義を深く理解し実践するので、人間関係の交流は円滑で活発となる。

 

それに加えて上級編として慎みや奥ゆかしさといった品性も備えることができるのであれば、更にいい。

 

上記心得ることなく、野生の猿レベルの示威的行為かまびすしい昨今である。

身の程わきまえぬ虚栄や虚飾の類が相手の感情を逆なでしてしまうという事案が絶えない。

 

下手すれば陰で笑われ忌み嫌われ、悪くすれば憎悪までされる。

なぜなら、ヒトもまた動物。

 

憎悪の刃先は不可視であって射程が長く執念深いから対処のしようがなく、知らぬ間に切り刻まれるということになる。

こうなるともはや呪詛されているも同然。

 

実るほど頭を垂れる稲穂かな、である。

 

人間社会は火薬庫であり地雷原。

いらぬ反応を引き起こさぬよう、質素な佇まいで謙虚に振る舞うのが最良だ。

 

そのような在り方こそ、見る人が見れば、堂々として美しくかつ誇り高い姿と言えるだろう。

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Dmitry Vozdvizhensky and Nina Sviridova, Dreamers, Volgograd USSR 1960.