KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

もんじゃ焼きを食べて腑に落ちた

この日留守番する長男のため料理が作り置きしてあった。

 

外出先から戻ると、用意してあった料理はすべて平らげられていた。

冷蔵庫にあったフルーツもすべて食べ尽くされている。

 

家内にとってこれ以上に嬉しい光景はないようで、わたしと二男の夕飯の支度をしながら顔ほころばせている。

 

日曜夜、食卓を飾ったのは、もんじゃ焼き。

 

鉄板挟んで二男と差し向かい。

家内特製の本格もんじゃをヘラで口に運びつつふと思う。

 

なるほど。

あでやかきらびやかな社交の世界からみればわたしたちなど陰キャラ同然。

 

いまや地縁血縁が共同体を形成するのではなく、陰か陽かがモノを言う。

 

わたしたちなど地味で質素いたって静かに暮らす身であって陽の華やぎからは縁遠い。

陽の渦中の者からすれば、そばに近寄らせたくもない存在だろう。

 

陽は陽で華やいで、その華やぎ振り絞って放ち合い互い吸着し合って、さらに目を惹く陽となっていく。

交友関係から持ち物に至るまで、目に見える部分はすべて陽をあしらう。

 

だから陰など無用どころか、せっかくの陽を陰らせかねないから疎ましい。

 

加えて近親憎悪、その陰の落とす影に陽の方でも心当たりがない訳ではない。

塗り潰して隠し切ったはずの自らの陰がむずむずしかねない。

 

せっかく機嫌良くやってるのに陽性ムードが台無しになる。

近づかないでくれとなるのも当たり前のことだろう。

 

相容れない理由が分かって、謎が解けたかのように爽快。

ビールが美味い。

 

わたしもわたしの兄弟姉妹も家族も友人も、どちらかと言えば地道に生きる陰の者。

華やぎなど露もないから、陽の側からすれば大事に思うどころか気に留める理由さえない。

 

全く異なる世界観で生きている、だから住む世界自体も違ってくるのが当たり前。

なんて分かりやすい話なのだろう。

 

もんじゃを食べて気づいた記念として日記に書き留めておくことにした。

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 Francesc Català-Roca, Mercado de San Miguel 1950s.