KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

息子が二人おりますねん

早朝はラジオを流す。

子守さんの朝からてんコモリを聴くのがお決まりである。

番組中に挿入される曲に出色のものがあってときおり嬉しい。

 

新聞各紙を読み比べて論評加える子守さんの喋りを目当てに聴いているのだが、自分からは絶対にアクセスできない希少性ある曲とも出合えるのだからまこと奇特な番組と言えるだろう。

 

西川きよしさんの『子供が三人おりますねん』。

この名曲も子守さんの番組がなければ知ることすら叶わなかっただろう。

 

耳馴染みないイントロに身構えはしたものの、子供が三人おりますねん、というきよし師匠の第一声で共感しその世界に感じ入って聞き入ることになった。

 

www.youtube.com【子どもが三人おりますねん/西川きよし 1979年】

 

わたし自身もこの語りを地で行っているようなものである。

息子が二人なので、わたしの場合は『息子が二人おりますねん』と歌っているということになる。

 

上の息子は高校生、下の息子は中学生、ラララと機嫌良く、彼らが小学生の頃から歌い続け夢中で歌っているうちあっという間に時間が過ぎた。

 

子らが育つ過程にはイベントが目白押しであり、そもそも日々の成長自体がイベントみたいなものであるから、まったく飽きることがない。

 

代わり映えしない仕事の日常はさして楽しいものではなかったかもしれない。

ときには傾斜きつく結構苦しいものでもあっただろう。

 

しかし、淀んだようなものでしかなかったわたしの流れに、突如、支流から立て続けに清新な水流が注ぎ込み、混ざって合わさって、流れは勢いを増し、水質は透明度を増した。

まさに生命の刷新。

 

そのお陰でなんだか楽しく充実したような時間に運ばれるということになった。

 

プール教室があり伊丹昆虫館がありカブスカウトがありフットサルがあり芦屋ラグビーがあり中学受験があって、合間合間各地旅行し虫を捕まえ海で泳ぎ夜は星の名を覚えた。

間延びするような退屈な時間などどこにも存在しなかった。

 

これがもし無人の枯れ地でひとり仕事に取り組むのだとしたら、孤独と無味な日常に耐えきれず退廃の下流へとわたしは転落していたかもしれない。

 

幸い上機嫌で傾斜をやり過ごすことができた。

 

『息子が二人おりますねん』と歌いはじめて幾年月。

今後ますます朗々と歌い続けることになるだろう。

 

ハラハラドキドキ手に汗握り、先々まで胸膨らんでこの先もまたぼんやりする間は一切ない。

 

子どもと出会ったことはある種の奇跡体験といってよく、このちっぽけな人間が今生で得た最大の福音であったといって過言ではないだろう。

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Edouard BoubatLe Laboureur et ses enfants, France 1946.