KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

ただ歩いて食べただけの平凡な日曜日

なんば駅で降り心斎橋に向かって御堂筋を北上する。

 

建物の壁面線がぴたり揃ってビルが一直線上に並ぶ。

道幅広く眺望良く開放感にあふれて、大阪のメインストリートとして申し分ない。

 

秋の風が心地よく、午後の日差しはあたたか。

過ぎてゆく時間を惜しむように、ゆっくり歩く。

 

まもなく心斎橋。

とある一角で家内を待つ。

 

どんどこ人が溢れ出してくる。

その全員が赤の他人。

 

その赤の他人の群集のなか、家内の姿が見えた。

不思議な事だが何か縁があって身内となったのだろう。

互い笑ってやあと手を上げ並んで歩く。

 

心斎橋から更に北へと進む。

 

途中、家具屋があって若い夫婦みたいにソファなど見て回る。

欲しいものを挙げはじめたらキリがない。

 

うまい具合、分相応に暮らす考え方も似通っているのだろう。

目の肥やしにだけしてそこを後にした。

 

どこかで夕飯を済ませようと水を向けると、家で作るという。

肉を調達してあるようだ。

 

堂島のヤマヤに寄ってワインと食材を買う。

家に腕の立つ料理人がいるのだから食材があれば十分。

 

駅を目指し地下街に入る。

青森岩手ええもんショップに目が留まってそこでも食材を物色することになった。

 

青森や岩手。

未知の地に思いを馳せて、いつか行ってみようと話し合いつつ電車に揺られた。

 

家に戻るとひと休みする間もなく家内が早速夕飯の支度をはじめた。

 

ステーキが焼かれる間、グリッシーニにプロシュートを巻いて食べ、クラッカーにブルーチーズをのせて食べる。

赤ワインにともてよく合う。

 

わさびを薬味にして家族で肉を食べ仕上げはタコの入ったパスタ。

 

満腹となって大満足。

ただ歩いて家でご飯を食べただけなのに、充足感に満ちた日曜となった。

 

その昔、大学生の頃のこと。

座右の銘を問われた大神先輩がきっぱり言った。

平凡。

 

このところその言葉をときおり思い出す。

平凡であるのも結構ハードル高くて、簡単なことではない。

中年になればこそ、ただならぬ思いで平凡という言葉の価値を噛み締めることになる。

 

京都で手に入れたというお茶を家内がいれ、皆でイッテQをみて笑い転げて過ごす。

 

そのようにごくごく平凡な日曜の時間が過ぎていった。

 

この平凡がいつまでも続きますように。

感謝の念とともにそう願うような気持ちになった。

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Elliott Erwitt, New York City, 1955.