KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

家族が共有するひとつところの時間

エンジンをかけるとナビが言った。

メリークリスマス。

 

ちょうど冬至の頃合い、隈なく濃密な闇のなかクルマを走らせる。

まずはガソリンスタンドに寄ってセルフで給油する。

 

不思議なことである。

クリスマスの日の未明、毎年決まって給油してからの始動となっている。

昨年も一昨年もその前も。

 

クリスマスソングがBGMとなってかつての給油シーンの数々が折り重なるようにして目に浮かぶ。

過去は過ぎ去るのではなく、どうやら全部まとめてここにある。

 

Twitterでフォローしている作家さんがいま旅先にあって、ここ数日ランカウイの様子が届けられる。

それらツイートがトリガーとなって過去の映像が頭のなかで再生される。

 

昨年の夏、家族でランカウイを訪れた。

どの瞬間もいまなお褪せず記憶に鮮明であるが、Pia's the Padi で食事した時間がわたしにとっては最も際立っている。

 

Pia's the Padiは人里離れたような場所にあった。

まるで草原のなか。

草原を吹き渡る夕刻の優しい風に吹かれ、訪れたツーリスト誰もが絶賛する一品一品を家族で分け合った。

 

奇跡のような食事体験であった。

昨夏の旅の最大の収穫がその場面であると言えた。

 

家族それぞれ何らかのきっかけでその旅のことをこの先何度でも思い出すだろう。

当然、Pia's the Padiのことも頭をよぎるはずである。

 

過去はいつだってすぐそばに留まっている。

ともに過ごした時間が家族を結びつけ、旅は一層強い手応えをもって家族をつなぐ。

 

この先、二人の息子は各自思うところの道へと突き進んでいくだろうが、どこへ行こうと、わたしたちは常にひとつところにいる、ということになる。

 

昨日はどういう風の吹き回しか、ふと浜田温泉のことが頭に浮かんで、一年ぶりそこで湯につかった。

遅い時間であったので夕飯は済ませていた。

家では家内がむいてくれたあたご梨だけを食べ、お酒はなしにした。

 

世間はクリスマス気分で盛り上がっているようだ。

そんな柄ではないが、家内とぶらり街で買物し夕刻にはワインでも飲もうと思う。

子らと共有する「ひとつところの時間」について今夜はわたしが一万語くらい話すことになるかもしれない。

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Nat Farbman, France, February 1949.