KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

旅すれば名場面が生まれる

未明の時刻。

まだあたりはほの暗い。

 

プールの周囲に巡らされた照明灯からごく控えめな光が水面へと注がれるのみ。

淡い光をかすか感じつつ、水中をゆっくり泳ぐ。

 

日常の裏側に潜り込んだかのよう。

大阪での慌ただしい光景がどこか遠い誰かの他人事のように思えてくる。

 

肩の力が根っこから抜け、芯から心身が解きほぐされた。

まさに命の洗濯と言えた。

 

泳ぎ終えてトレッドミルで走っていると、家内と息子もジムに姿を見せた。

わたしは一日のメニューをまもなく終えるところ。

 

選手交代。

わたしは運動を切り上げ部屋に戻った。

 

家族が戻るのを待って一人ぼんやり窓外を見やって過ごす。

ここにもまた日常の裏側の時間がゆったりと流れていた。

 

何も考えず、何もしない時間。

本願成就。

思えばこんな時間にふんわり包まれることを目的とした旅でもあった。

 

家族が揃ったところでチェックアウトする。

荷物を一階受付に預け、そこからタクシーで海雲台に向かった。

韓国きってのリゾート地であり絶景で知られる町だという。

 

わたしたちの目当ては食。

朝に鰻スープとあわび粥。

昼はケミチブ海雲台店。

人気の店であるようで地元の人で列ができていた。

釜山式ナクチポックン、息子にはその辛さが激烈だったようだ。

 

辛いが美味しい。

もっと食べたいが辛すぎる。

そのような幸福な逡巡を経てご飯をかき込む息子であったが、出発の時間が迫りやむなく途中棄権となった。

家に持って帰って食べたい。

店を後にするとき、彼はそう言った。

 

タクシーでホテルに戻る。

預けてあって荷物を受付で受け取る。

その際、家内が黒いマスクを買いたいがどこに売っているのかとホテルの女子に尋ねた。

 

日本のような白ではなく、街で黒いマスクする人を何人も見かけた。

持ち帰って家内は土産ネタにでもするのだろう。

 

隣のセブンイレブンから家内が戻ったところでタクシーを呼んだ。

ホテルのスタッフが何人も手伝ってようやく荷物を搭載し終え出発。

 

家内が運転手に所要時間を尋ねる。

日本語も英語も運転手には通じないが、時計を指し示しようやく伝わった。

ワンアワーだと運転手は英語で言った。

 

家内によれば所要時間を聞くことは遠回りされないための必須の心得らしいが、このやりとりをきっかけに、タクシーはレーシングマシンに様変わりした。

遠回りを防ぐどころの話ではなかった。

 

フライトの時間が迫って急いでいる。

運転手はそう思い込んだに違いなかった。

 

見れば黒の革手袋をし、交通整理の人がするような蛍光色の安全ベストを身にまとっている。

只者ではないとその風体が告げていた。

初老といった面立ちだが、秘めたパワーとガッツは相当なもののように見える。

運転の腕前も凄味感じさせるほどだった。

 

ぐんぐん車間距離を詰め、車線変更し次々と車両を追い越していく。

加速減速がひんぱんで、まるでアトラクションに乗っているようなものだった。

 

家内が運転手に急がなくていいと何度も言うが、火に油を注ぐ結果になるだけだった。

わたしと息子はそのスピード感を楽しんだ。

 

結局、1時間どころかたったの20分で空港に到着した。

料金もたったの23,000ウォン。

 

行きのタクシーでは50,000ウォン払っていたので、帰りもそれくらいの心づもりであった。

いい人もいればそうでない人もいるということだろう。

数字が如実にそう物語っていた。

 

空港ゲート1の真ん前、路肩に駐車するクルマや後ろから来るクルマに構うことなく、おじさんは入り口最短距離の場所に停車してくれた。

 

後ろからクラクションを鳴らされるので、わたしたちは気が急くが、おじさんは得意満面、涼しげな笑顔を見せた。

その表情は、いい仕事したという満足感にあふれていた。

 

じゃあねと握手し、わたしたちは手を振って運転手を見送った。

 

そして、話はここからなのだった。

 

空港入口の自動ドアをくぐって、息子が気づいた。

パスポートを入れたショルダーバッグがない。

 

先の夏に訪れた上海、まっちゃんに連れてもらった店でバッグを買った。

紺と黒のうち、黒い方がないというから、たいへんな話であった。

 

紺には携帯の充電器類。

黒にはパスポートが入っていた。

 

黒のバッグがない。

言葉の意味を咀嚼するより先に、瞬間凍結、家族全員血の気が引いた。

後部座席に置き忘れた、と息子が言うとおり、そこらを見回してもあるはずがなかった。

 

パスポートをタクシーに置き忘れる。

うちの家族に限ってそんな話はあり得ないことだった。

 

しかし目の前の現実は、そういう事態が生じたのだと無表情に告げていた。

 

あのおじさんならバッグに気づいて必ず空港に引き返してくれる。

わたしにはそう思えた。

 

一番目立つのはわたしだろう。

そう考えゲート1の前に立ち、戻ってくるに違いないおじさんを待つことにした。

家内はホテルに連絡を入れ助けを求め、息子は空港カウンターに向かい善後策について相談しに行った。

 

なんとかなるだろう。

そう思う一方、なんとかならない場合について次から次へと悪い予想が湧いて出てくる。

 

そもそも食べ過ぎであったし、荷物も多すぎた。

だから注意力に隙が生じたのだ。

お金はわたしで、パスポートは息子、いくら責任を持たせるためとは言えそんな役割分担をするのではなかった。

無数の反省が渦巻くが、もはや取り返しはつかず、血の気は失せるばかりであった。

 

全く読めない文字であるにしてもタクシーのレシートくらいもらっておくべきだった。

そうも悔恨するが後の祭り、血の気は時を追うごと更に失せていく。

 

女房をもらうなら英語のできる人がいい。

 

ホテルに電話しやりとりした家内が最も問題解決に資する役割を果たすことになった。

ホテル受付でもしょっちゅう話しかけていたので、家内のことは向こうもすぐに分かったようだった。

 

幸いなことにハイヤットホテルの入り口にはビデオカメラが設えられていた。

わたしたちがどのタクシーに乗ったのかはすぐに判明した。

10分もかからなかった。

 

運転手と連絡がついた。

20分以内にゲート1に行くのでそこで待つように。

 

そうホテルから連絡を受け、わたしたちは歓喜した。

ほんとうに助かった。

温水が優しく噴射するみたいに全身に安堵が行き渡って、その温かみにとろけてへたり込みそうになった。

 

ゲート1の前でわたしたちは待ち続けた。

 

やがて、パッシングするみたいにライトを明滅させたタクシーが凄い勢いで走り込んでくるのが見えた。

運転手が着る黄色の安全ベストが目に入った。

 

わたしは手を振って駆け寄った。

おじさんもどんどん近づいてくる。

 

おじさんはクルマを走らせながら、そのままクルマから飛び降り、頭上高く黒のバッグを掲げた。

そんな風に見えたほど、迫力満点な出現のシーンであった。

 

わたしたちを空港に運んだ以上の猛スピードで戻ってきてくれたことは明らかだった。

おそらくホテルからの連絡がなくてもおじさんはバッグを届けに来てくれたに違いなかった。

 

わたしたちは、おじさんが掲げるバッグを指差し、うんうんと頷いた。

 

おじさんからバッグを受け取り、お礼を渡そうとするが固辞された。

そんなことより、時間は大丈夫か、とおじさんは時計を指差し心配している。

 

フライトの時間が差し迫っている、おじさんはまだそう思い込んでいるのだった。

 

ケンチャナ、ケンチャナと数語知っている韓国語を駆使してわたしはおじさんに大丈夫であることを伝えた。

そして握手しながらなかば無理矢理、お礼を受け取ってもらった。

 

家族皆で頭を下げ、両手で手を振っておじさんを見送った。

 

世界は善意によっても構成されている。

そのようななかわたしたちは生かされている。

 

そう素直に思え、釜山でのラストシーン、家族一同感謝の念に包まれた。

 

旅すれば名場面が生まれる。

人類が生み出したテクノロジーと現地の人の矜持ある善意のおかげでわたしたちは無事、日本に帰ることができた。

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2018年1月5日正午 海雲台市場とメインストリート