KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

恐怖と無縁、その至福

始発電車の時間に合わせ家を後にしたものの、クルマにすれば良かったと数分後には後悔することになった。

 

あまりに寒く、iPhoneで気温を見れば零下。

そうと知って更に寒さが増した。

 

引き返そうかどうしようか迷いつつ歩き、家に戻るにしても駅に向かうにしても同じような距離になったので、初志貫徹、電車に乗ることにした。

 

この日の業務ではクルマを使うような用事はない。

電車が走っている時間であれば、電車に乗るのがまともな経済観念と言えるだろう。

 

電車のなかで寒さを忘れた頃、目的地に着いた。

事務所まで徒歩でわずか5分といった距離なのであるが、歩きはじめてまた寒さと向かい合うことになり、気が遠くなった。

 

いわば、恐怖を覚えるほどの寒さ。

 

この状態で吹きさらしのまま留め置かれれば、命に関わる。

内奥の声が恐怖となって、身体中に鳴り響く。

 

内に生じた恐怖を凝視してみる。

心もとないような寂寥と不安に、命の火が吹き消されそうになるような状態と言え、とてもではないが長くは付き合っていられない。

 

 

かといって、いったん恐怖に捉えられると、生理現象に近いような話であるから理性では制御し難く、それを紛らわるのは至難の業だ。

 

仕方ないので更に一歩踏み込み、太古よりカラダの深奥部に張り巡らされてきた恐怖のインデックスに思いを巡らせてみた。

 

日頃思い当たっていないだけで、日常のあらゆることが真っ直ぐ恐怖と結びついている。

いつなんどき発動しても何ら不思議ではない。

 

何かの拍子で、それら恐怖のアラームが一斉に作動したらどうなるのだろう。

神経苛まれて一秒たりとも正気でいられず、事が起こらずとも、極限の苦しさを味わうことになるに違いない。

 

四方から押しせる恐怖に打ち震え身も竦むような思いとなって暗然としていると、まもなく、夜陰のなか煌々と光る松屋の店舗が見えてきた。

 

なかに入って牛丼をしばし待つ。

卵を割って丼に落とす。

視界にはもはや牛丼だけが存在していた。

 

恐怖のない状態、これだけでもう十分なのだと思えた。

恐怖と無縁、これ以上、何を望むことがあるだろう。

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Arthur Lepzig, Mimi Reading to Joel, 1947, Brooklyn, N.Y.