KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

砂漠に小雨

新年がはじまって徐々に徐々に忙しく息つく暇もなくなってきた。

 

右を見ても業務、左を見ても業務。

頭のなかが仕事一色に塗り潰されて、それにつれすべての時間が仕事仕様になっていく。

 

仕事をこなすという機能に自身を一体化させることになり、そうなると一緒に暮らす者の空気が希薄になって、所帯持ちなのに一人で生きているも同然といった様相を帯びてくる。

 

未明に家を出て夜遅くに帰って寝るだけ。

朝は松屋、昼も松屋、夜も松屋といった風に食事も手早いものに限られてくる。

風呂も帰りに済ませてしまうし、さっさと横になりたいのでお酒も飲まない。

 

家で過ごす時間は極小で、頭のなかは仕事ばかり。

そこに団欒の入る余地はない。

 

それでも仕事で乾いた時間の砂漠に小雨降ることがある。

 

下の息子とは暮らしのサイクルが似ている。

わたしが目覚める早朝に起きているのは彼だけであり、わたしが帰る頃合い、彼も帰ってくるので、顔を合わす機会が多い。

 

朝、言葉を交わし出発し、夜、帰ってきて言葉を交わす。

 

たったの二言、三言であるが、わたしにとっては、砂漠に降る小雨。

それで少しばかりは心潤うことになる。

 

下の息子とは異なり、上の息子とは生活のリズムにズレがある。

このところはすれ違いがちである。

 

だからだろうか、ここ数日、上の息子が、夜中に姿を現すようになった。

 

勉強の休憩がてら、彼はわたしの寝室を訪れる。

スヤスヤと眠るわたしの上に、「ああ、疲れた」と言いながらどっかともたれかかってくる。

 

結構なガタイの息子であるから呼吸苦しくなってわたしは目を覚ますのだが、重い重いと言いつつ、調子はどうだなどと二言、三言、言葉を交わすことになる。

 

彼からすればわたしはクッションのような存在なのかもしれない。

名づけて安心感。

こんなボロ同然の父親であるが、頼りにされているということなのだろう。

 

仕事一色という砂漠に小雨。

それで僅かばかり心潤い、わたしはまた早朝に出発することになる。

 

家にいる時間は少ないが、なにもかもすべて、わたしにとって大切な瞬間瞬間である。

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Donalf G. Jean, Remembrance of Things Past 2017.