KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

購読紙を日経新聞に変えた

気がつけば息子二人ともが十代後半に差し掛かり、だからだろう、ふと質問される内容が高度になって、時折は死角を突かれ言葉に窮するという場面が増えてきた。

 

子らが投げ込んでくるボールに手も足も出ないなど父として面目立たない。

後は老いさらばえる中年であるにせよ、息子を前に押し黙るには早すぎる。

 

より一層見聞広め見識深め、彼らのはるか前を闊歩していなければならない。

そう思うとがぜん意欲が湧いて出てくる。

 

仕事に精出し他者との接点を増やし、かつ本を読み映画を観てといった平素の心がけを更に推進する他、手近なこととして主に読む新聞を日経新聞に変えることにした。

 

ペラペラめくって済ますことのできる新聞と異なり、記事数多く中身濃厚、だから流し読みするだけでも骨の折れる日経新聞であるが、子らに有益な存在であるためにはそれが近道。

 

例えれば、一駅前で降りて歩く、といった類の話。

一手間惜しまず継続すれば、遠からず頑強な脚力が備わることになる。

 

日経を手に取るなど二十代の頃以来のことである。

当時は若気の至り、書いてある内容はチンプンカンプン。

離乳食が咀嚼できる程度のヨチヨチの知力で、ステーキに歯を立てていたようなものであった。

 

今もさして代わり映えしないが、風雪の年月を経た分、少しばかりは歯が立つようになったのではないだろうか。

 

それらハードな中身を噛みしだき、子らにフィードすることは親として意義深い役どころとも言えるだろう。

 

昨年は7月からジムをはじめて継続中。

今年は1月から日経を読みはじめて鋭意購読中である。

 

いつの日か、賢い話の散見される日記になっていくのかもしれない。

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Paul Almasy, A young boy reading, Paris 1947.