KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

強弱強弱と数えて過ごす

この日予定の業務がごっそりキャンセルとなって仕方ないのでふて寝した。

休んでまったく問題なかったがじっとしていられない。

久々家内が作る朝食を食べコーヒー味わい弁当携えての出勤になった。

 

ものは試しと朝8時過ぎの電車を使ってみることにした。

どれくらいの混み具合なのか実地見聞も必要だろう。

 

が、拍子抜けすることになった。

両手広げて体操できる、とまではいかないが十分に余白あって揺られて快適。

 

ホームから人がはみ出すくらいにごった返すと耳にしたことがあったが、おそらくそれは7時台限定のことなのだろう。

 

大阪駅まで出てそこで乗り換え、はじめて朝8時台の環状線にも乗ってみた。

押し合いへし合いするどころか選り取り見取りで席を選べてゆったり座れた。

 

出だしからゆっくりペース。

今日一日、出力「弱」で済む日となりそうだ。

 

このところ、一日一日をオンオフではなく強弱で考えるようになった。

オンオフと分別しても、仕事柄、オフがオンとなることがやたらと多い。

 

休みだと当て込んでいた日に業務が生じると、少なからず喪失感を覚え気分が降下する。

仕事し実は得しているのに損した気分になるから、損得引き裂かれるようなものであり、この精神状態は始末が悪く後に尾を引く。

 

だから達観することにしたのだった。

自営業者に休みなどなく、あるのは負荷の強弱だけ。

 

そう前提すれば、強弱を行き来するだけのことであり、休みが消滅するという事態に見舞われることがなくなる。

 

はなから期待しない、そうすれば落胆もない、といった子ども騙しな論法と言えるがその効果は侮れない。

 

まず腹が据わる。

心臓が動き続ける限り、あれこれかれこれ、わたしも動き続ける。

そこには強弱だけがあり、心臓が一休みなどしないのと同じで、わたしも休まない。

 

誰かにこき使われてということではないから、そこに悲壮はない。

 

たまには、弱続きの日々もあるだろう。

土曜日曜祝祭日が押し寄せてくるようなものであり、それはそれで僥倖。

強続きなら商売繁盛、願ったり叶ったりというものだろう。

 

それに加えて、季節のちょっとした変化を愛でるみたいに、強弱の移ろい自体を堪能できる。

 

どの一日も、一様に決まりきったものではなく、特異で独特。

毎日に変化があって、変化それ自体がレジャーの本質。

興味そそられる未知の何かが強弱の振幅のなかふんだんに盛り込まれ、その気になれば大いに楽しめる。

 

今日は思いがけず、弱弱の日。

強弱強弱と数えて過ごすうち、いつか、長い長い休暇が迎えに来てくれるのだろう。

 

その時はその時。

究極の骨休め、思う存分、無に憩おうと思う。

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Ferdinando SciannaChariot of ice cream seller,Bagheria, Sicily 1962.