KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

いの一番に思うこと

約束の時間より早くに着いた。

クルマの窓を開け、背もたれを倒す。

ちょうど木陰にあって風がひんやり気持ちいい。

一休みするのにうってつけと言えた。

 

コインパークの二つ隣でも同様、営業マンが寝そべって休憩している。

 

春の陽気の昼下がり、働くばかりが能ではない。

良い仕事をするには適度な休息が不可欠だ。

 

視線の向こう、バギーを押す中年男性が通りかかった。

路上にあったタヌキの置物に喜んで幼子が声を上げた。

 

中年男性は歩を止めそこにしゃがみ、そして子どものような声音でタヌキに話かけ始めた。

 

年格好はわたしと同じくらいであろうが、その男性はどう見てもやんちゃくれの系統。

連れ同士といて、そんな風に話すことなどあるはずがなかった。

 

おそらく二十歳そこそこで結婚し子を授かり、その子も二十歳そこそこで結婚して子を授かった。

それで早くに孫を持つ身となったのであろうが、その孫が可愛くて仕方がない。

童心に帰ったようにタヌキに話す様子からそう見て取れた。

 

タヌキを交えての団欒はしばらく続いたが、まもなく中年男性はコインパークから寄せられる視線に気づくことになり元の中年男性へと戻っていった。

 

そろそろ時間。

クルマを降り訪問先へと向かう。

途中、神社があったのでふらり寄って手を合わせた。

自身の内部と遙か異界が接続されるこの刹那、先に心に浮上するのは、子らの名である。

 

中年にもなって真っ先に自身のことが頭に浮かんで自身のために手を合わせるのだとしたら、かなり気色の悪い話に違いない。

 

自分よりも大事な存在があって、その力になれれば十分と思うのが中年の心模様の相場というものではないだろうか。

子らが置かれた局面ごとに思う内容は異なるが、近くにいようが遠くにいようが、いの一番に思うことに変わりはない。

 

家内は腕によりをかけて美味しい食事を作り、わたしは神社で手を合わせる。

手間暇は異なるけれどその思いは共通している。

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© Alexander Mikhailenko