KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

仕事の庭園

GWが明け、ややペースダウンしていた仕事が忙しくなり始めた。
長期休暇があった場合、一時、仕事の波が引くことがあるが、通常、常時幾つもの案件を抱える状態が続く。
単純な業務もあるが、ほとんどが厄介で複雑で嵩高い。
終わると感慨が残るような、その年度年度を彩る、思い出深い、思い入れある業務となっていく。

規則正しく業務をこなし、ペースに乗ってくると、どんどん弾みがついて、幾つもの案件の流れが、頭の中できちんと整理され「手に取るように」把握できる状態になっていく。
仕事と自分の呼吸がぴったり合うような感じだ。
先が読め、次にどのタイミングで何をするべきか、明瞭に理解でき、作業が滑らかに進んでいく。
トラブルが生じても、あたかも最初から予想していたように、対応策がスムーズに思い浮かぶ。

有形の仕事の集積が、無形の秩序を生むような状態。
自分は庭師となり、庭園を手入れするような役柄となる。
手入れの流れは、呼応するような間合いで生じていく。
そして、仕事が楽しく、文字通り、楽になる。
仕事が安住の住み処となる居心地は、決して悪くない。
庭園に有ることは、幸福である。

しかし、少し手入れを怠ると、庭園はたちまち姿を消してしまう。
経験則で言えば24時間継続して「手入れ(仕事)」しない状態が続くと、すべき内容が不分明になり、次の一手が判断し難くなってくる。
数日さぼれば、自生していた秩序は失われ、庭園は忽然と焼け野原に変貌してしまう。
焼け野原と対峙するのは、苦しい。
仕事人として、最も恐れるもの、それが焼け野原である。

だから、仕事を休むことに、相当注意深い習性が身に付いた。
世間ではリフレッシュや気分転換で、休むことが常識となっているが、仕事人としては、休むことの弊害も一方で認識しなければならない。
そのためには、短時間で疲労を取る手立てを備える必要がある。また、休んでいるように見えても、庭園の手入れを継続する工夫も必要だ。
常に、風雨に身を晒し、庭師に徹する覚悟こそ重要となる。

「こうして私は成功しました」同業者が語る安易な成功譚は、聞いていて耳たぶが赤くなる。
そこには耳を傾けるべき仕事観がない。
だから何?というレベルの底の浅い御託を並べ立てるのは恥ずかしいことである。

俯瞰して見る自らの庭園を最上のものとし続ける営為の中にしか、語るに足る仕事観は生まれない。