KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

愛すべき隣町

神社では鳥居をくぐるのが正しいように、西宮へは武庫大橋を通って入るのがいい。
空が薄暮に染まり始める頃合いであれば、尚更。
大阪から2号線で尼崎を経て、武庫大橋を渡る。
その橋のちょうど真ん中で、西宮となる。
武庫大橋は、国境にかかる橋のようなものだ。
六甲の山を背景に、四季折々の柔らかい色合いで、橋に施された照明灯が、渡る者を迎えてくれる。
夕刻時、そこは、癒しと安堵に満たされた幸福の玄関口となる。

大阪で仕事して、尼崎でリフレッシュし、西宮に帰るというパターンがお定まりである。
大阪でブチブチに任務をこなし、尼崎でほっと一息、西宮で平穏に暮らすスタイルが、私にとっての幸福のアンドゥトゥワーである。

大阪は、生き馬の目を抜く闘争の場である。
緊張はりつめ、仕事にあくせく四苦八苦。吉本風土の中、なんでやねんと、こづきこづかれ、家族のため、日々の暮らしのため、耐え忍ぶ。

大阪を後にし西宮への帰還の途上、横長に広がる尼崎は、とても一通過点には収まり切らない。
主役を食うほどの存在感を醸す。ただ通過するなんて勿体ない。

尼崎の真骨頂は、2号線以南にある。
普通の淡水が、甘いようなしょっぱいような不可解な溶液と打って変わる分水嶺が2号線と言える。
南へ向かって43号線までの範囲で、不揃い不均一で濃度と粘度が増していく。
そして、心得た方がいい。ここでは、海外旅行と同じ程度の警戒心が必要だ。
信頼できるガイドなしに、深入りできる場所では決してない。
浅瀬で戯れるに越したことはない。
救命胴衣なしで、足が立たない場所にまでは踏み込まぬことである。

なにしろ驚愕の町である。
官庁並ぶ通りを一歩横道に入っただけで、ラブホテルが軒を連ね、地続きで、普通の顔して民家も並ぶ。
仕事で訪れその光景を目にした家内は、驚きのあまり笑うことしかできなったという。
ラブホテルだけでない。何やら怪しい素性不明の店が集積している。
昼日中なのに、仕事する風でもなく、差し迫った欲望を持て余し、歓楽街の引力のなすがまま、界隈を前かがみ&うつむき加減で、匿名の人間がそぞろ歩く。

しかし、何もおどろおどろしい場所ばかりではない。
阪神尼崎駅から西側に目を向けると、巨大な商店街群が広がる。
下町の迷宮、三和商店街だ。尼崎最大の見どころスポットと言える。
訪れるものを、飽きさせることがない。
全ての光景、全ての通行人が、尼崎の表現媒体としてパーフェクトなパフォーマンスを遂げる。
付け焼き刃のエキストラで為せる業ではない。
突出した個性のおじさん、おばさん達、そして部外者が気圧されるほどのガラの悪さ。
地元で培われ、受け継がれてきた風土の集大成が、一分のスキもなく、あまねく繰り広げられる。
まるで、どこを切ってもペコちゃん人形。どの瞬間、どの場面も、This is the 尼崎である。

特筆すべきは、安く良質な食材を求めるなら、三和商店街であるということだ。
おいしいパンやイタリアンがある訳では無い。しかし、野菜や果物、魚介類など、良質な一次産品が周辺地域のどこよりも安い。
買物しつつ、まるで異国を巡るような新鮮な興奮を味わえるスポットは三和商店街の他にはない。

その他、尼崎には、由緒正しい、尼崎随一のリゾートスポット、アマ湯がある。
そこで、汗を流し、猛者とも言えるおばさんのマッサージを受けるのは格別である。
南へ下れば、尼崎スポーツの森がある。
ここのプールは西日本一の広さ。バカでかい上に、時間帯さえ誤らなければ、がら空きだ。
1コースの幅が、そこらのプールの2倍はあって、ここで泳ぎ慣れると、もう他所では窮屈で泳ぐ気がしなくなる。
ちょっとした湖みたいなもんである。そこで、静かに水に漂う。
時間の流れがゆるやかになり、巨大な窓の向こう、日没を背景に数々の車両を運ぶ湾岸線は、そこに描かれた静止画のようにも見える。
動から静へ、密かに沈潜できるひとときを得ることができる。

そして、西宮へ帰る。
武庫大橋で、ちょうど、スイッチがオフとなり、交感神経から副交感神経へとバトンが移る。
橋を越え、街の景観シンボルである旧甲子園ホテルを通過すれば、間もなく子らが待つ我が家に至る。
子らと川の字で寝るキングサイズベッドが最近はずいぶん小さく感じられるようになった。