KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

迷信

タバコをやめて5年以上経つ。
大きな転換点に差し掛かり、願掛けの代償、捧げ物として、タバコを献上した。
タバコは、学生時代から1日ほぼ1箱ペースで吸っていて、私には欠かせないものだった。
やめてからは、一本も吸っていない。
タバコをやめたことは、私にとって生涯忘れられない象徴的な行為であり続けている。

何かを乞い求めるとき、併せて、何かを断つという行為を加えると、効き目抜群である。

タバコをやめた際にその効果を実感したので、ちょっとした戦時に臨む際、自らの覚悟を確固とさせるキャンペーンとして、何かを断つ、ということをちょくちょくやる。

よくやるのは、半年断酒。

子が生まれたときや、引っ越したときなど、その先行きの好事を祈念して、半年間お酒を一切断つ。
ジョギングなら60分、水泳なら30分、といった目安があるのと同じで、断酒は半年くらいが最適である。

何かを断つと、意識と無意識の交流が活性化される。
願望はついつい意識の端から消えてしまうが、日常生活と深く結びついた行為は、無意識の淵に深く根付いている。
だから、願掛けだけだとそもそもの動機を忘れてしまって実現は遠のくが、何かを断つという行為が加わると、常に願望が反芻され、強化されるという状態になる。

意識と無意識の間に、門番みたいなおっちゃんがいると擬人化すればイメージしやすいかもしれない。
愛着も持てる。
このおっちゃんに単に願いを告げただけでは、ぼーとしていること度々で、すぐに忘れてしまい、働いてくれない。
しかし、無意識の反発を招くような「何かを断つ」という行為もセットでリクエストすると、交通整理がたいへんになって、俄然活気づく。

無意識の世界は広大無辺で底知れない。
無意識には何でも揃っている。
たとえば、夢をみると、その一端を垣間見ることができる。
そこは意識にのぼる世界と全く異なり、すべてが現在形で立ち現れてくる。
死んだはずの祖父母はいつまでも優しく、下宿先の巨漢のおばちゃんはいまも家賃の取り立てにくるし、試験開始のチャイムはいままさに鳴らんとしている、昔遊んだ友達も、初恋の相手も、大昔すれ違っただけの奇抜な髪形のおばちゃんも、みながみなそこらをウロウロしている。

門番のおっちゃんがハッスルすれば、無意識を発生源とする願望成就に必要な何やかやを取捨選択し、じゃんじゃか休みなく前線に送り込んでくれる。

だからといって、闇雲に何でも断てばいいってもんではない。
欲をかいて、あれもこれもと一気に禁ずると、不協和音が生じて、収拾つかなくなってしまう。
そうなると、門番のおっちゃんは、お手上げだ。
意識は無意識に対して、しゃしゃり出すぎてはいけないようだ。

個人的な迷信だから、門番のおっちゃんの実在を主張するつもりは全くないけれど、そういうものを想像し、感じ取る感性も無意味ではないように思える。
目の前の相手の顔をじっと見るより、その人の門番のおっちゃんの働き具合を想像してみることで、相手への理解が深まるということだってあるかもしれないのだし。