KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

正しい食事

太った?
そう言われることが続き、体重計にのってみると、90キロをコンマ少し越えていた。
狼狽した。
90キロは、遠く見はるかす遥か彼方、海の向こうの異国の他人事、万一にも自分がその境界を踏み越えていたなんて、とても認め難いことであった。

日常的に最低限の運動はしていたので、ベルトもそれほどきついわけではなく、自覚がなかった。
いや、本当は薄々気付いていたのかもしれない。
運動したことで自分を安心させ、体重から目を背けていただけなのだ。

太った原因は、過食、の一語に尽きる。
メタバリアというダイエットサプリがあって、去年の暮れにそれを試したところ、ベルトの穴が縮んだ。
いくら食べても太らない夢のサプリとの出会い、過食の過ちをあがなう免罪符を得たようなものだと、小躍りした。
そして、サプリとともに大食いが日常化する日々が始まった。
メタバリアを飲めば、平成の徳政令発布、過剰摂取カロリーは帳消しとなるのだから、好きなだけ食べていいのである。

そのまま過食の畜生道まっしぐら、食の煩悩に理性は見事なまでに制圧され、為されるがままという状態に陥っていた。
カラダはもはや私のものではなく、食の煩悩にとって勢力拡大のお誂え向きの根城、食の煩悩がどっかと腰据える住み処と成り果てていた。

90キロという体重が警報のように作用し、食事量を減らし、食事内容を変えることを心がけようと決意した。
しかし、すぐに悟った。
「心がけ」など、肥大化した煩悩からすればチンケな「ごまめ」みたいなものに過ぎない。
「心がけ」を主力とする我が理性治安維持軍は、旗を掲げ気勢を上げるものの、煩悩のひとさすりで、嫌よ嫌よも好きのうち、たちまち手なずけられ蹂躙されるのであった。

煩悩の朝は早く、油断も隙もなく貪欲で執念深く、満たされるまで際限なく数々の注文を繰り出してくる。
私は、不夜城の盛り場で煩悩にかしずく忠実な給仕担当さながら、延々と滅私奉公するのみであった。

このままではこのままである。
いや、それどころか、90キロが、地獄の一里塚である100キロに達してしまうではないか。

理性治安維持軍を強くしなければならない。
しかし、どう心がけたところで、私一個の理性は、現状に馴化してしまっており効力を発現し得ないのが見え見えだった。

そこで、人の力を借りることにした。
私自身の問題に、他者の眼を導入する。
他者の眼が入れば、私自身の誇りや矜持が喚起される。
呼び起こされた人間としての尊厳が、現状の馴化を揺るがし、理性の機能を復帰させるに違いないのだ。
つまり、理性治安維持軍に、他者の眼に晒されたときに強く発動する自尊心という別部隊を傭兵として合流させるのである。

毎回の食事を、包み隠さずiPhoneで撮影し、Twitter経由でネット上にUPすると決め、すぐに実行し始めた。
食べる量や食べる内容を直接どうのこうのしようというところから、考え始めない。
決意するのは、「節制」などではなく、「食べるものは必ずUPする」、ということだけ。

驚くべき効果があった。
この単純な作業を徹底するだけで、自ずと、恥ずべきものを口にすることがなくなり、イレギュラーな時刻に間食することがなくなった。
どうしても御すことができなかった食の煩悩を、抑えることができるようになったのだ。
他者の眼によって喚起された自尊心からすれば、食の煩悩など、取りに足りない、屁のような相手に過ぎなかった。
体重は減り始め、何より、カラダが楽で快活に感じられるようになってきた。

本能に任せてガツガツ好きなだけ食べるというのは、人として無残な姿であり、罪ですらあると知った。
過食は、カラダを損なうだけでなく、自制心や慎みといった人間固有の美徳をかなぐりすて、畜生へまっしぐら回帰するような愚かな行為である。

食事に、人間の品位がそっくりそのまま現れる。
食事に作法が付き物なのは、さもありなんである。
文字通り、他者の眼だけでなく、内面化された他者の視線が、美意識や様式を磨く。
食事も例外ではない。
食という本能に根ざす行為に、人としての規律、節度、慎みが加味されて、はじめて人間としての食事と言えるのだ。

潮が静かに満つるよう、ゆっくりと、少しずつ食べ物を口に運ぶ。微か満ちれば、そこで箸を置く。
これが人として正しい食事の仕方なのではないだろうか。