KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

リトル・オーサカ

仕事の合間、気晴らしでウォーキングする。
北は門戸厄神、西は西宮戎神社、南は甲子園球場を目印に、半径2~3kmのエリアを歩く。
(東は武庫川で行き止まりなので、西側半円が散歩ゾーンとなる)。

最近直に歩いて気付いた。
門戸厄神から西宮北口を経て阪神国道、今津に至る一帯は、そこそこガラが悪く、地形が入り組み複雑で、行き止まりや路地だらけ、大阪市内の下町を彷彿とさせる。
ちょうど南北に走る阪急電車今津線高架のたもとに広がる界隈である。
以下、リトル・オーサカという。

狭い往来をひっきりなしに自動車が猛スピードで通るため、リトル・オーサカは、おちおち散歩などしてられる地域ではない。
前後左右常に気を配り、身の安全を保ち続けなければ危険極まりない。
散歩というより、探検である。

危険なのは自動車だけではない。

先日、眉毛を剃った男性が、歩道に対し垂直になって自転車を停め、信号待ちをしていた。
狭い歩道なので自転車が道を塞ぐ状態になる。
通りかかったじいさんが困ったように男性に声をかける。
その男性、はっん?みたいな顔で舌打ちし面倒臭そうにやっと一人通れる程度のスペースを空けた。

じいさんと反対方向からその地点に向っていた私は、「さりげなく」その邪魔な自転車の後輪にぶつかってみた。
よけて通れないこともないが、自然に歩くとぶつかるので、軽い気持ちで「当たって」みたのだった。

因縁つけられても無視するつもりではあったが、念のため身構えつつ通り過ぎる。
こっちを睨むような気配は感じるが、何も言ってこない。
謎の風体のオッサンと悶着起こす気はないのだろう。

怖くはない。もともと、大阪の生野区育ちである。
そんなことでイチイチびびってなんかいられない。
免疫がある程度備わっている。

生野区で幼少から小学生時代を過ごした。
かつて生野区は、それはもうえげつない恐怖の国であった。
一頭地を抜くガラの悪さであった。

街角のあちこちに、「怖い奴」が出没する。
不良グループがあちこちたむろし、チャリンコでウロウロしている。
小さい頃は、森で熊に出くわさないよう祈るような気持ちで、戦慄きつつ道を歩くのが常だった。
いつも無事という訳にはいかない。
すれ違いざま路地にひっぱりこまれ顔面ボコボコに殴られたこともある。
殴られはしないまでも、怖い奴の事情聴取(恫喝)に付き合わされ、金目のものがないかどうか探られ、ケツの一発でも蹴られる、といった苦しい沈黙の時間を過ごさねばならない羽目に陥ったことは数え切れない。

カラダを鍛え、自衛する覚悟と気合いを醸成し、熊程度には何とか対処できるようになってはじめて、平穏に暮らすことができるようになる。
しかしそれでも、怪獣のような奴が現れたら、身を隠しスゴスゴ退散するより他はない。

生野の風景が蘇る。
路地の長屋で凶暴なサルを飼っている家があり、その家の少年は、サルより獰猛だ。
彼との闘いは熾烈であった。
その路地から更に入ったところに、ゴリラーセブンと呼ばれる兄弟姉妹が住んでいる。
同じ顔形で、大きさが異なるだけなので、誰が誰なのか、何人いるのかさっぱり判別ができない。
2人ほど亡くなっても、誰が死んだのか全く分からない。

昼間から酒飲んで罵声発するおっさんらがウロウロ徘徊し、その中にテンノーと名付けられた粗暴なオッサンがいて、当たり構わず、火を吹くように怒鳴り声をあげ、叫んでいると思いきや次の瞬間、道路脇の排水路にまたがり、一本糞を垂れる。
アゴ潰してソーメンしかすすれんようにしたれっといった物騒な言葉を発しながら、極悪な人相の連中が誰かを探し回っている。

喜怒哀楽がありのまま垂れ流され、ごった煮のような猥雑さの中、ありとあらゆる登場人物が現れる。
まるで人間サファリパークだ。

そして、井の中の蛙大海を知らず、そのガラの悪さは、生野区だけに留まらない。
地続きで大阪市内列強、隣接する準市内列強らが陣取る。
その顔ぶれは、烈々だ。
都島、東成、平野、阿倍野、大正、港、住之江、東住吉、鶴見、城東、此花、浪速、福島、天王寺、住吉、西成、東大阪、尼崎、守口、西淀、東淀、八尾、松原、堺、、、順不同適当に上げただけで、どこが出場してもガラの悪さ全国大会で優勝狙える強者揃いではないか。
ガラの悪さの三拍子、厚み・深み・凄み、で他を寄せ付けない。

リトル・オーサカのガラの悪さなど、可愛いものである。
隔絶した一部地域に、ガラの悪さがほんの少し息づいている程度。
規模で言えば、リトル・オーサカが池、オオサカは海である。

子らが過ごす地域は、天国のようなものである。
本場でガラの悪さの洗礼を受けていないことは、弱みになるかもしれないので、ガラの悪さの本質について記しておかねばならない。
ガラの悪さの種明かしである。

ガラの悪さで最も印象に残ったのは、西宮の立ち食いソバ屋で、店のおばさんに大声で凄んだオッサンである。
些細なことで激高し、おばさんを本気で怒鳴り上げたのだ。
繰り返さねばならない。相手は、おばさん、である。

このことから、ガラの悪さの本質が、弱さであると分かる。
ガラの悪さの源泉は、強さなのでは決してない。
救いのないほど鬱屈した弱さから発生するのだ。
無力の世界に長らく足を搦め捕られ、日毎鬱々無力感に苛まれ続ける。
打つ手なく八方塞がりが慢性化。
それで、世間に八つ当たりして、相手見定めた上で、顔面歪め、劣悪な雄叫びをあげる。
「おれは、ホントはこんなもんじゃないんだ~~~おれを誰だと思ってるんだ~~~殴っちゃうぞ〜〜〜」。
ペコちゃんの叫び。
ペコちゃんというのは、コメツキバッタのように普段世間ではペコペコし通しという生態に由来する。

そこに、自恃の念や人間としての矜持など一かけらもない。
ホンマの修羅場くぐった人は、おばさんに怒鳴ったり、自分の勝負所以外で虚勢張ったりといった愚かなことはしない。

普段どこまでも柔和な顔してる人の中に、ホンマモンの怖い人、強さ備えた人がいるのである。

ガラ悪い奴を見たら関わらないことである。何かあっても挑発にのってはいけない。
相手の鬱憤晴らしに付き合っても、得るものは何もない。
そっとしておくに越したことはないのである。
ただ、絶対に手出ししてはいけないが、いざとなればはねのけるだけの体力だけはあった方がいい。