KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

お墓参り

お盆と正月、春秋の彼岸に墓参する。
先日、時季外れであったが、思うところあって一人で墓参りに向かった。

家族でわいわい向かうのもいいが、厳粛な気持ちで一人行くのも感慨深い。
いつもはクルマで生駒トンネル抜け一足飛びにお墓を訪れる。
その日は電車とバスを乗り継いだ。

道中、亡き祖父母の面影が胸中を巡る。
愛情たっぷり可愛がってもらった思い出が遠景となって、意識が大事なことだけに集中していく。

電車好きのどこかの父子がカラダねじって車窓の光景に嬉々として見入っている。一方、母らしき人物だけが仏頂面で憮然としている。
そんな目の前の眺めがフェイドアウトしていく。

世俗を一時離脱するような不思議な感覚に浸る。

東生駒から山上霊園まで送迎バスが発着している。
バスを待つのは、おばさん、おじさんらがちらほら。
時季外れなので賑わいはない。
静かな待ち時間。
各々、先立ったゆかりの者を間近眼前に浮かべながら、その人のもとへ向かう。
幽か幽かに胸に迫るような思いが伝わってくるようだ。

当家の墓は、広い空のもと下界見渡す高台に位置する。
掃除し供え物を揃え、線香をあげる。目を瞑り手を合わせる。
近況を報告し、どうか見守って下さいなとお願いする。
一人しばらくそこで過ごす。

私にとってお墓は、先祖面々の在りし日を思って密やか呼び掛け、そして何らかの触発を受ける特異な交流の場である。
遥かな連なりに思いを馳せ、安らいだ気持ちで我が身を省みることができる。
先祖が辿ったようにありとあらゆる焦心苦慮と欣喜雀躍を経た後、いずれ私にとっても、子々孫々に囲まれる「終の住み処」となる。

帰途、ふっと、将来先々、墓参りされる立場になることを想像してみる。
私の孫にあたるようなまだ見ぬチビが、電車とバス乗り継ぎ、ひとり会いに来る。
その様を思うと、最善尽くして生き抜こうという何かとても強い感情が沸々込み上ってくる。
末々に奮闘を喚起する何かが墓からにじみ出るほどの生き方をするしかない。
そうひしと思い定める墓参りとなった。