KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

決勝戦留書

決戦の日を迎えた。
昨日は、午後練習で3時間みっちり灘浜グランドを走り、クルマで小一時間仮眠後、平素通り夜まで浜学園で勉強。
あれやこれや考え寝つき悪いかと思いきや、瞬く間眠りに落ちそのまま9時間は寝続けたのではないだろうか。

今朝家内は、我が家の二男姿三四郎の出発の支度で5:30にはガスヒーターで部屋を暖かくし食事の用意を始めた。
二男が電車で出発した後、ちょうど起き出した我が家の長男椿三十郎の朝食はスキヤキ。
ちなみに、先週の準決勝前の朝食はカツレツだった。

そしてDVDでイメージトレーニング。
2009年芦屋最強チームの試合、そしてクルマでは2011ワールドカップ・オールブラックス戦を見る、もちろんハカも。
幼い頃、機関車トーマスを夢中で観ていた長男とは全く異なる表情だ。

芦屋4年が決勝で伊丹相手に12-2と圧勝する試合を横目に、グランド脇で芦屋5年が試合前のアップを行う。
円陣囲んで必勝を誓い合う。沸き立つ闘志あふれ選手らは込み上げる涙を抑えられない。

いよいよ試合が始まった。

序盤、劣勢、どんどん押し込まれて行く。
早々に先取点も許してしまった。
やはりダメなのか、そんな思いがよぎる。

しかし、今日の芦屋は違った。先取点取られても全く崩れなかった。
フォワードがプレッシャーをかけ続け主導権取るまであと一歩というところまで迫っている。
何度かバックスの連携が絶妙に機能する兆しも現れつつあった。
一進一退、総力結集し何とか前半を2−2で折り返した。

そして、後半開始早々、芦屋キャプテンが、キックで相手陣地にボールを転がす。
全力走り込んだバックスが追いつき絶妙の球さばきで手元すくい上げ、そのまま誰も追いつけないスピードで疾走し見事トライに結びつく。
今日の試合を決定づけるキックとなった。
これを境に流れが一気に芦屋のものとなった。
ベストパフォーマンス発揮し続ける芦屋メンバーが一体となった。

11番を欠く伊丹は、尼崎戦のような粘りを取り戻すことはなく、後半に先取され浮き足立ったのか、3番にボールを集める攻撃パターンを続けるが、トライには結びつかず焦りが増す。
フォワードが前線で相手陣に食い込んでいき、ディフェンスの負担軽減された芦屋のバックスが、水を得た魚のように縦横に展開し始める。
芦屋の長所ばかりが目立つ試合展開となっていく。
点差が次第次第に開いていった。
後半は5-0。結局、7-2で芦屋が紛うことない勝利を収めた。

試合後、芦屋の選手がわんわん嬉し泣き号泣する。中には大の字になって足をバタバタさせて男泣きする選手までいた。
3週に渡り続いた県大会を無敗で終えることができた。全ての試合に勝利した。
簡単には勝てない相手に勝つことができた。常に目標においてきた強い相手をも破っての優勝である。
感極まるとは、このことだろう。

今日の決勝戦を迎え、かつてブログにも書いた『Billy Elliot(邦題 リトルダンサー)』のラストの場面が何度も蘇ってきた。
主人公である少年ビリーが成長し、主役として大舞台に立つ日、父は片田舎からはるばるロンドンの劇場までやってきた。
あの幼かったビリーが威風堂々、舞台を駆け跳躍する。
それを見つめる父の眼差しが、どこまでも観る者の胸を打つ。
晴れ舞台に立つ我が子を見届けることほど心震えるものはないのだと、この映画で知った。

そして、今日この日、この映画でこれまで気付かなった重要な含意に思い当たった。

ビリーの母は亡くなっており、映画では回想シーンに登場するのみである。
とても感動的なのだが、ビリーがバレエの先生であるウィルキンソンに、将来のビリーにあてて死期迫る母が書いた手紙を差し出すシーンがある。
ビリーにとって母親の役割を果たす存在が、亡き母からウィルキンソン先生に引継がれた瞬間と映る象徴的な場面だ。

ウィルキンソン先生はビリーを見出し、一貫してビリーの側に立ち彼を導き鼓舞する役割を果たす。
その関わり方はあくまで裏方的であり舞台裏の無名の存在だ。

母を亡くし、そこに空白があるからこそ、ウィルキンソン先生によって母という存在の果たす役割が、より鮮明浮き彫りとなる。
父親は、どう足掻いてもその関わりを、一歩の距離から「観る」ことができるだけである。
ビリーの傍で、身近にずっと寄り添っていたのは、父ではなく母であったのだ。

今日、優勝の日、あえて強調しておかなければならない。
コーチに受けた恩、ともに闘った仲間への感謝、忘れてはならない。

そして、、、
泥にまみれたジャージを、洗ってくれた人が誰なのか、忘れてはならない。
土日ごと練習の送り迎えを誰がしてくれたのか。
体力つくようバランスを完璧に考慮した食事の用意を誰がしてくれたのか、忘れてはならない。
絶対にかっこ悪い思いをさせまいと、あれやこれや心尽したのは他ならぬ母であったことを、絶対に忘れてはならない。