KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

雨にうたれて

イングランドUEFA欧州選手権が開催されていた頃、半月ばかりモロッコを旅した。
旅の記憶の各シーンに、サッカーのテレビ中継が、まだら入り込んでいる。
ロンドンから空路タンジェールに入り、海から内陸へ、そして海へ至るという旅だった。

モロッコで海と言えば、地中海を臨むスペイン領のメリリャだ。
モロッコのナドールから、短パンにバスタオルを首にひっかけ、乗り合いタクシーにて、ぶらりぶらりスペインへ向かう。
国境を歩いて渡ると、風景の色合いが様変わりし、地中海に面したビーチが広がる。
そこで一人泳ぐ。旅のクライマックスの記憶である。

そしてもう一つ、忘れられない思い出がある。
フェズのホテルのロビーで、旅行者であるスイス人青年とドイツ戦を見ていた。
会話するけれど、話題も尽き、軽い気持ちでちょっとした身の上話のようなものを切り出した。

そのときの相手の吃驚した表情をはっきりと憶えている。
やんわりと、初対面でそんな話はすべきではない、とたしなめられた。
別に重大なことや深刻なことを話したつもりはなかった。

気まずい空気が漂ったが、炸裂するほど賑やかなターキーの青年がやってきて、会話の矛先が変わったので、救われた。
しかし、ばつの悪いあの一瞬は、忘れられない。
男同士の会話の礼節、コードみたいなものがあって、極東の無教養な旅人は、とんだマナー知らずであったのだろう。

日本では当たり前に至るところで、「実は、おれさあ」という会話が気軽に繰り広げられる。
そういった風土の国がある一方で、「実は、おれさあ」という会話に慎重な流儀の国もあるのであった。

よくよく考えれば、「実は、おれさあ」という話は、そのまま「実は、あいつさあ」と口伝いに広がり、とてつもないマイナス作用をもたらす引金になりかねない。危なっかしい言辞と言える。
確固とした間柄でもないのに腹割って話すなんて、不作法という以上に不用心すぎる振舞いなのである。

ただでさえ、「実は、あいつさあ」という話で世間は持ち切りだ。
新聞の下半分も、たいていそんな話に埋め尽くされている。
「実は、あいつさあ」という話題が生暖かい排泄物のように降り注ぐ中、それにまみれて悦に入る人々がどれほど多いことだろう。

そして、どんな所でも人が集うと、そのような排泄雨を降らせる輩が登場する。
学校でも職場でもちょっとしたサークルでも近所界隈でも、どこにでも雨乞の巫女(もちろん巫女が男の場合もある)は出没し、そこらは排泄雨で暗く濡れそぼるのだ。
排泄雨を厭う自浄能力のある集団であれば、巫女は活躍の場を失いスゴスゴ退散する他はないが、まあ巫女のファンの多いこと多いことうじゃうじゃうじゃ。巫女に日頃の鬱憤晴らしてもらわないことには、精神の平衡保てない人がわんさといるのである。

そういう構図のもとに世間があると、心しておくしかない。
そして、ゆめゆめ排泄雨の餌食となることがないよう身を律することである。
余計なこと口にせずとも気心通じる仲間はできるのだ。

万一、ターゲットになってしまっても、そこが自分の居場所であるべきならば、絶対に、排泄物程度に屈し、自らの場を明渡してはならない。
確固とした姿勢保てば、巫女の方が飽きてきて、他所へ行くのである。

時の鎌倉右大臣の歌にもある。
大海の 磯もとどろに 排泄雨 われてくだけて 裂けて散るかも