KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

帰巣願望

去り行く2011年、この年は、男子校仲間との飲み会がいよいよ「定例化」した端緒の年として記憶されるだろう。
これまでちょこちょこ飲み会は催されてきたが、頻度としては稀であった。

それが40過ぎの同窓会などを契機に、交流のペースがぐんと一気に増大した。
仲間の顔ぶれも「類は友を呼ぶ」という流れで、同級生以外のメンバーも次第次第増えて行く。
はじめチョロチョロ、あとパッパの原理である。

多事多難かい潜りサバイバルするだけで必死のパッチであった30代を過ぎ、多少なり地歩固まり相変わらず多忙過密スケジュールであっても、時間的にも金銭的にも融通利く立場となって、行き着く先、帰って行く先は、友人らの輪なのであった。

ここでは、皆が皆を知り、かっこつけても始まらず、等身大のまま、自らを語ることができる。
仲間により生成される居場所、このコミュニティは「巣箱」のようなものである。
我々が切磋琢磨し、各自羽ばたき後にしてきたあの場所、青雲の志やら思春期の悪念やらが渦巻いていた、あの「巣箱」である。

「巣箱」は、ことのほか居心地がいい。
世には、10代の交友関係を根こそぎ根絶したい、同級生は揃いも揃って面倒で厄介な奴ばかり、験が悪いので顔も見たくない、と公言憚らない人もいる。
帰巣本能を損傷されることなく無事に成育叶った我々は、強運だ。

「巣箱」から一歩出れば、世知辛い世である、一体何だ???と「ハトが豆鉄砲喰らってムンクの叫びのような顔」になってしまう相手と出くわすこともないではない。
常軌を逸した類いの輩、異端の曲者が、黙ってればいいものを、とやかく主張し始めて、止むに止まれず、それと対峙せねばならない羽目に陥るケースが生じる。

そのような事態に遭遇してはじめて「巣箱」は居心地のいい同質性を基調としているのだと分かる。

本当に幸いなことに、外界で稀に奇々怪々な人に悩まされることがあったとしても、居場所として帰って行く「巣箱」があれば心気復旧、自分を取り戻すことができる。

これから先も、「巣箱」の飲み会はますます頻繁に行われるだろう。
各自の力が募って隆起し、今はまだ小高い丘程度の仲間が、この先将来、見事荘厳な山々峰々へと変貌して行く。
「帰巣」すればいつでも仲間から強烈なエネルギーが供給される。
細胞分裂かまびすしい生長点のような刺激を発しながら、かつ止まり木的な機能を「巣箱」が果たし続けて行くのである。