KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

晴れて厄明け

厄晴れの朝、4:00に起きコーヒーをがぶ飲みする。
カフェインが効いて意識の明瞭度が増していく。

さて、昨日の節分で晴れて厄が明けたのだが、ふと考える。
この三年、前厄、本厄、後厄の各年度に、これこそ厄だと言えるような厄介事などあったであろうか。

振り返って思い巡らすけれど、至極穏やか上々の日々であったことしか思い出せない。
私にとってこの三年を通じての問題は、仕事の多さと体重の重さくらいしかなかった。

これは痛恨であったとか、災難だったいうことが何もない。
しまった、と思う程度のことくらいはあったけれど、これも舵を切るための絶好の好機であったと言え、結局良き結果で収束している。

門戸厄神清荒神で厄払いした御利益はあったにしても、不謹慎だが、何とも拍子抜けな厄年の期間であったという感想を持ってしまう。

そして、はたと気付いた。
しかるべきこの時期に、身に降りかかるべき災禍が何もなかったのは何故か。

「払い」を先に済ませてあったからではないか。

私にとって、これはもう堪らん、神様堪忍して下さい、しんどすぎる、つらい、泣いてまうがなというアホほどつらい日々はとっくの昔、はるか彼方30代の向こう岸にあってどんどん遠景に退いていくものとなっている。
結婚、独立、マイホーム、そういった人生最大のハードな局面を30代で必死のパッチ、全部こなしてしまったのだ。
子も既に11歳と9歳になる。

矢折れ刀尽きるような激闘は30代のうちに終えてあったのである。
後は何でも来いだ。
もはや不幸の類が、つけ入る隙などどこにもない。
体力ががくんと落ちる数十年先まで大丈夫に違いない。

厄難が降りかかる前に、自ら進んでしんどいことと格闘していれば、一身が引き受ける苦労の総量は一気に減少するのだ。
これを、後払いよりも先払いがいいよ法則と名付けよう。

何であれ苦労は体力のある若いうちにやっておくべきだ。
後払いでつけをため次第に身動きとれなくなる人生の循環より、しんどくても先払いで奮闘して自らの成果の上で自由と平穏味わう人生の方が充実して楽しいに決まっている。
お金と同じでパワーについても「増える流れ」と「減る流れ」があって、辛抱苦労するタイミングを単純に前倒しにしていけば「増える流れ」が生まれるのだろう。

苔生すことがないよう今出来ることをシャキシャキ活動的にやっていけば、不幸が根付き繁殖するなんてことはないということだ。
厄年、一生さようなら。