KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

おまえ、誰やねん

役所の人は自らの立場と裁量の範囲に敏感だ。
法律という枠組みの中で職務が定められているのだから、勝手な判断が下せる立場にあるわけではないと心得ている。

一般人にとってもそういった意識は案外大事である。
自分の置かれた状況を一歩俯瞰して「ここでの自分の立場役割は何か。どんな権限と責任があってどこまで独自の判断が許されるのか」ということを、強いられてするお役人的な受け身の立場ではなく、能動的に常日頃考えておいても絶対損はない。

人間関係のなか、そのような枠組は実在し、そこが分かっていないと総スカンを食う、男衆から村八分になる、およそ中心人物にはなり得ないという原理が働いている。

そういうことが分かっていないオッサンに対し発せられる「おまえ、誰やねん」という慣用句の存在は、古くからそのような原理が実在してきたこを証していると言えるだろう。
三人集まれば文殊の知恵や井戸端会議という言葉はよく知られているが、七〜八人集まればお前誰やねん、という言葉はご存知だろうか。
片手を超えると、そこに現前とある枠組が見えない男が現れる。そんな経験則をここまで端的な言葉で表現したなんて、昔の人のセンスに感服しないではおられない。

人が集うと、複数の思いや価値観が交錯するが、譲り合ったり任せ合ったりして、交錯がおおまかに整理結合されていく。
そのようななか、場の考えの流れや自分の立場を確認する上で、前記した問いを自らに向けることは重要である。
そこを考えて初めて、次のハンドル操作をどうするか、という政治的な視点が生まれる。

権限と責任について叩き込まれてきたような組織人の中には、惚れ惚れするくらいに政治的手腕に長けた優秀な人が数多い。
昨年、同窓会の幹事を5人のメンバーでこなしたが、組織で鍛えられた仲間の統率力に舌を巻いた。
誰が社長を張っても大丈夫だろうというメンバーであった。
ああ、あいつのことね、といろいろ浮かぶ面々あるだろう。

彼らほどの凄みまでは求めないけれど、「お前、誰やねん」と蔑まれる手合いにだけはなってはいけない、それを強調しなければならない。
要は、簡単に言えば、男っぷりの問題だ。
人のことを頭に入れておけということである。

最後に、私が畏敬する70歳を過ぎた経営者の言葉を記しておこう。
生死くぐり抜けるような激闘の数々を経て、なおかつ健在、常に戦時にあるかのような勢いを失わない方であり、
疲れても身体が痛くても、それを絶対に表に出さず、はつらつ気丈に振る舞う方である。

その方が言った。
男らしいかどうか、それだけが全てやで。

この言葉の重みを、胸に刻まなければならない。