KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

就職について

どれだけきれい事が並べられても、勤め人の労務の現場は、凄まじいほどに厳しい。
そう心得ておいた方がいい。

もちろん、例外はいくらだってある。
私の顧問先など従業員に優しいいい会社ばかりである。

しかし労基署やらで伝え聞くところ、勤め人を搾りに搾って利潤の蜜を出していくというのが、当世最も合理的な経営術の極意となっているかのようだ。
それが悪いのかと開き直って大見得切る会社も少なくないという。
世知辛い世である。やっとの思いで就職できたとて安心できない。

就職の不条理について用心するに越したことはない。
どんな目に合わされるか、どれほどクルクルパーなことを強要されるか、ぱっとしない輩にどれほど偉そうに言われるか分かったもんではない。
もちろんそんなもの屁でもない、どんと来いもう一丁、というものだけれど、そんな使用者に従属し使い回されるのであれば、そこで張り切ることほど虚しいことはない。悲しい話だ。

道端での通りすがりなら無視できる。
もちろん就職したとしても、さっさと出て行けばいいのだが、この就職を喜んでくれた人の顔が思い浮かぶ、次の就職先があるだろうか不安がよぎる、すぐに辞めてしまうなんて根性が足りないし説明できない、といった逡巡のプロセスを経ているうちに、いつのまにか責任負う立場とされ、人間関係のしがらみも植え付けられ、達成目標なども書かされ、誠実な人間であればあるほど、「蜜を吸われる」立場で留め置かれる。
生かさぬよう殺さぬよう、という隘路にはめ込まれ、自力では出口が見えない状態、抜け出せないようなっていく。

会社に尽したからといって、それが報われるとは限らない。
いま5月である。
事実上のリストラに晒されはじめる新卒者も山ほど出ているだろう。
就職おめでとうの言葉が耳に鮮やか残る春の余韻覚めやらぬうちお払い箱である。
彼女にもらったネクタイ、頑張ってのメッセージカード、妹にもらった皮の財布とベルト、兄ちゃんカラダに気をつけてねの電話の声。送り出され、たちまち行き止まり。後にも先にも道がない。

新卒だけではない。
中高年でもプライドずたずたにされるような環境下に置かれるなんて珍しいことではない。ずたずたにする意図が明確にある場合すらある。
地獄で鬼に弄ばれるようなものだ。
日銭が必要で何とか仕事せねばならない虚弱のおばさんにも職場は容赦がない。
散々苦しい時間を過ごさせた後、それがどうしたノルマ果たせないのであれば帰ってくれとさっさと追い出すだけである。

世間に出るはるか前から、就職の影の部分、事実上治外法権化することさえある会社という組織について、意識的に見る習慣があっていい。
どんな会社だろう。どんな仕事をしているのだろう。どんな人間関係があるのだろう。どんな苦楽があるのだろう。

まずはそのような観察を通して、自らの職業観の参考データとすればいい。
たぶんそのように考えれば、会社に頼って何とかしようなどという考えは選択肢として後回しになるだろう。
よほどの理由がなければ浮上してこない選択肢として自分の頭で分かったうえで、ではどうするか、早くから考えることである。
もちろん、余得があるとかそこでしか為し得ないとか三顧の礼で迎えられるとか先々のために不可避であるとか、そういった場合もあるので頭から消し去る必要はないけれど。