KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

ゾウとアリの話

スプーン小さじ1杯か、まあよくても大さじ1杯ほどの俸禄が世間相場のなか、私など耳かきひとすくい程度だが、大繁盛の老舗経営者は、巨大ユンボのバケットてんこ盛りの稼ぎを得続ける。

比較するならゾウとアリくらいの差だろうか。
アリは、1円を笑う者は1円に泣くと戒め日々チマチマ暮らすけれど、ゾウにとっては、スプーン1匙分など無に等しい。

金銭感覚がまるで異なるので、ゾウに囲まれるのは、一種の危機である。
環境の影響を避けられない。
食べ物、身に付けるもの、定宿、酒場、クルマ、エトセトラ、エトセトラ、これまでアリ仕様だったものが、うっかりゾウのスペックになっていく。
ゾウの悠々とした感覚になじむと、アリに戻ることはなかなか難しい。
これを世では、アリ地獄という。

しかし、あまり知られていないが、ゾウはゾウのレベルで非常に堅実であるようだ。
スプーン1匙程度には無感覚だけれど、スコップ一杯程度となれば話が違う。

何しろ、歴戦の先代、先々代にしっかりと仕込まれている。
節約の次元は違えど、スーパーで品定めするしっかり者の主婦のごとく、吝嗇に関しての武勇伝には事欠かかない。
先代、先々代が堅実に築き上げた商いを着実に引き継ぐプロセスを経て、さらに磨きがかかっている。

時代をまたぎ、代々受け継ぎ洗練させていく縦の共同作業をゾウ一族で行っているようなものである。バトン引き継いだリレー走者は悠々としているが、その歩みは堅実堅牢でスキがない。先代、先々代が草葉の陰から檄を飛ばしている。

ゾウは、ゾウであることを明かさないし、とやかく信号も発しない。
ゾウであることを知られるリスクを心得ている。
そう、お金は怖い。
だからアリさんが目一杯、ゾウ風のミテミテ装束に身をやつすと、お里が知れてゾウさんは優しい眼で笑ってしまうのだ。

ゾウ同士はすぐに通じるという。
縦の共同作業だけでなく、横の共同作業として、情報と仕事を持ち寄って、ゾウ同士で群れ集う。

ゾウの学校まであるくらいだ。
ゾウの子にとって少子化で競争が緩くなる日本はますます住みよい平和な国である。
蓄えは十分にある。何もあたふたすることはない。
つられて、アリさんまで勘違いするとひどい目に遭うので気をつけないといけない。
アリさんにとって、日本の経済力と競争力が低下するのは死活問題になりかねない。

年季入ったごっついお金持ち達がドルやら円やら、持ってる山に道路が通るとか、頭越し行き交うそんな話を聞いていて、ゾウとアリの空想に浸ってしまった。

ゾウになるなど、見果てぬ話だ。
念ずれば通ずるというものでもないだろう。
そもそも、比較し真似ようあやかろうという心根が、卑しく小っ恥ずかしい。
アリクイの餌食というお決まりの結末を迎えるのがオチだろう。

中身で勝負。アリに徹して、コツコツ進む。
鏡に映してつぶさにみれば、アリ以外の何かであるなんて勘違いなどしようがない。
ゾウより光る、ピッカピカのアリを目指す以外に道はない。
負け惜しみみたいだけれど。