KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

男二人の心丈夫

一昨日、甲子園口の和桜で長男と二人食事した。
家内と二男は旅先だ。
毛ガニ、あなご天ぷら、うなぎ蒲焼き、刺身盛り合わせ、地鶏塩焼、そして稲庭うどんで締めた。
甲子園口界隈ではダントツ、食い道楽の私が知るなかでも屈指の良店である。

昨日、早朝から事務所で作業、長男は勉強。夕方、GWのご褒美としてバッティングセンターに連れて行く。喜び勇んでバットをぶんぶん振る長男であった。右打席で疲れたら左打席で鋭い当たりを連発する。少し見ない間に、スウィングのスピードが凄まじいレベルとなっている。父を遥かに越えている。

夕食は甲子園口のありがた屋。長男たっての希望であった。ここの接客は素晴らしい。従業員教育が行き届いている。チームリーダーが強い求心力を持っているのだろう。この辺りでは、他の居酒屋など比較にならない。

1年ぶりになるだろうか、 食後、前の公園で、長男とキャッチボール。腕の振りもいいし、ボールも速い。投球フォームがダイナミックである。父よりはるかに野球が上手い。これも芦屋ラグビーの恩恵だろう。身体性が相当にバージョンアップしている。

ボールを受けながら、はたとああそうだったと気付いた。
彼はダンスの天才であった。
彼には生命の躍動を表現できる身体能力と観るものを引きつけるエンターテイナーの素質が備わっているのであった。

ダンスの手ほどきを受けたこともなければ、熱心に練習したこともない。
美空ひばりが一度聞いたメロディラインはそっくりそのまま再現できた、という話のように、彼は、眼にした踊りのエッセンスを瞬時に我が物とできるようなのだ。

小さいときから興に乗ると踊り、意外性に富み創意に満ちたダンスを披露してきた。
長男は生来のダンサー、踊り手のコードを宿してこの世にやってきたと言えるだろう。

長じるに連れ、その技巧に拍車がかかる。
音楽に合わせて弾んで舞う。華やかで、力強く、起承転結があって、楽しい。
しかしながら、ダンスの才能を伸ばして、どうのこうのなるものでもないということも分かっている。
ダンスの才能を鍛えればそこそこ際立った存在となったのかもしれない。
が、どれほどの才能をもってしても、どれだけ注力しても、九分九厘、余技に過ぎないというレベルに留まったであろう。
超人的な域の者たちが快刀乱麻する世界である、つけ込む隙は、まあ、ない。

ただし、宴会芸としてなら、突出するはずだ。
宴会は長男の独壇場となるに違いない。

ほどほどにせよと今から釘を刺しておく。

他方、同じ兄弟でも、二男は長男とはまた別様である。
隔世遺伝で、祖父の別々の側面を受け継いだようだ。
豪放磊落で動的な長男と、緻密明晰で静的な二男。

二男は、幼いときから手先が器用で、絵が達者、物作りに執心でいつも何かを製作中という様子だった。
知覚が卓越し感受性が鋭く、計画性がある。

家の生活周りについて、具体的かつ実用的な工夫あふれる提案をしてくれるのは決まって二男だ。

そんな二男の手先を磨くため、絵や楽器などを習わせても良かったかもしれないとたまに考える。
二男は二男であり、長男と全く同じことをさせ続けたのは親として単純すぎたかもしれない。
二男ならではのベストな習い事の組み合わせもあったであろう。

しかしながら、あれもこれもと欲張っても仕方ない。
実際、何一つ悔いることなど生じていないのだから、ベストな選択であったのだ。
ああだこうだと頭で考え始める重箱の隅思考は慎んだ方がいい。
目を向けることが他に山ほどある。

数日前、二男が出場した試合のビデオをみた。
画面に釘付けになり、感動した。
かつての、数歩出遅れ遠巻きにみるような頼りない動きは見る影もなかった。
集散素早く、果敢にタックルできるようになってきた。

そう言えば、ずいぶん背中が広く、肩もがっちりしてきた。立派な男っぷりの体躯となってきた。

男に生まれてきたのであるから、カラダの大きさ、強さ、頑丈さは、クマやトラやゴリラがそうであるように、必須である。
カラダが、がーんとでっかく強くなるのが男にとって自然であり、めでたいことである。

走り回ってぶつかって、五体丈夫になれたのであれば収穫大、まことに結構なことである。

返す返す思う。
息子が二人いる。心丈夫である。
なんと頼もしいことだろう。

どういう巡り合わせか、二人が我が家にやってきて、パッーと灯がともったようだ。
何か大事な役割を果たすため、尊い強みをいくつも携えて、我々のもとに現れた。

我々自身の歩みも、彼らに触発されて、さらに活性化される。
子は宝、この言葉は、その生き生きとした魂に接して初めて実感できるものなのかもしれない。