KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

文殊の知恵

『家族のようにあなたを診ます』を診療の理念とし、この5月12日で開院満4年となりいよいよ5年目に突入する天六の福効医院だが、院長のブログが示唆に富む。
院長の2010年5月19日のブログ「文殊の知恵」に次のような記載があった。

『一人で考えると何時までたっても結論が出ず、行き詰まったまま時間だけが過ぎてしまう。そんなときは、なるべく、人と話すように悩みを言うようにしています、昨日もそうだったんですが、妻と弟と話すとあっという間に謎が解けました、ひらめき』

非常に大切な話なので、子らにも伝えなければならないだろう。
人間一人の認知には限界があるという話である。
一人だけで考え続け、結論を出すことの頼りなさと危なっかしさについて知っておかねばならない。

どれだけ勉強ができようが、頭がいいと自負してようが、何でも見抜ける炯眼だと気取っていようが、堂々巡りに陥ったり、バイアスの餌食となって判断ミスを犯したりするものである。
第一、おれは大丈夫といった盲信が生じること自体で、人間一人の情報処理能力がいかにお粗末で、ちっぽけな限界に押しとどめられているかが分かるではないか。

どんな場面であれ、はじめの判断に執着したり、存在しない因果や相関を前提にしたり、問題を過剰に単純化したり、考える枠組が不適切なままだったり、背後にある例外への検証を怠ったり、となるのが人の常である。
盲点が生じているから結論が出ない。または、短絡して安易な答えに飛びつく。

誤りに気付かないまま、あるいは、何か引っ掛かるが、えーいままよと、あさっての思考プロセスを突っ走って得た見当違いの答えに従い、目も当てられないような結末に至るということも有り得る。

このあたりの人の性質を熟知したような詐欺師にかかれば、過信の強い人間ほど、赤子の手をひねるようなものかもしれない。

詐欺師というのは、人の認知を歪ませる天才なのである。
生まれながら、人を騙すツボのようなものを知っていて、常日頃そればっかり考え実行し、フィードバックし精度を上げ、着実に経験値を高めている存在だと考えていい。
用心しなければならない相手だ。なめてはいけない。

人というのは、ちょっと小細工されるだけで、線の長さも、色も、形も、大きさも、区別できなくなるほどウブなのだ。

普段は明確に見える境界線、そっち側に行く訳がないと思っている境界線も、知らず知らず誘われ、いつの間にかどっぷり向こう側の迷宮に首まで浸かる、しかも自覚がないから自力では抜け出せず、帰ってこられない。

そんな羽目に陥っても、不思議でも何でもない。

身ぐるみ剥がされる程度なら再起はあるが、訳の分からん考えを植え付けられたり、用が済んだと殺されたりしたら、ゲームセット、というよりゲームオーバーである。
そんなつまらない終わり方、悔やんでも悔やみ切れない。

そこで、天六のいんちょに倣おうではないか。
人に話すことである。

ちょっとばかりシニカルで世才に長けたようなピリ辛の友人とも大事に付き合い、何でも話せる仲を築ければ心強い。
そのピリ辛役の友人が守護神となって、陥穽に落ちる罠から救ってくれるだろう。

福効医院に行くのも手だけどね。