KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

仕事の神様

見開きA3のノートを正面に置く。
そこには当面の課題が手書きで記してある。

今日これから仕上げる課題をブレイクダウンし、A4の紙に書き取っていく。
課題の横に、着手し、終える時間を記載する。
今日の、執行リストができ上がる。

必ず鉛筆での手書きでなければならない。
手書きでないと、身体化されない。カラダに刻まれない。
単なる絵に描いた餅になる。

また、執行リストの作成はその日の朝でなければならない。
前夜にこんなことをすると、眠れない。
前日は、A3ノートをひと睨みするくらいで十分だ。

執行開始まで30分程、沈思の時間。
面倒だ、しんどい、うへー、といった憂慮と向かい合い、心を静かにしてゆく。
やるかやられるかである。
怒りのような闘争心を掻き立ててゆく。
どうにも手を付けずにはいられないという気持ちが高ぶってくる。
もう我慢できない、カラダが動き出す、アタマが走り出す、一気呵成に課題に臨む。

仕事の神様が傍に降りてくる瞬間である。

しかし、いつもこのように事が運ぶ訳ではない。
不測の事態に見舞われ、リスト書く暇もないほど切羽詰まって切った張ったを繰り広げる日もあれば、少し余裕があり過ぎて気持ちが間延びし乗らない日もある。
はたまた疲れ果てたのか、執行リストを書き出すことすら億劫で疎ましい日まである。

仕事柄、うつ病で仕事を休む労働者に接することがある。
カラダは何ともなくても、うつ病になると仕事にならないという。
どんなものか、うつ病のチェックリストのようなものに目を通してみた。

食欲が減退気味、という項目以外は当てはまらないこともない。
それにしても、主観に基づくチェックリストなんてどこまであてになるのだろう。
血液型占いや星占いが当たっているような気がするのと同じで、うつ病の自己診断でも、言葉に誘われ、該当することを余分に拾い上げてしまう場合もあり得るのではないだろうか。

明確で深刻な症状がある場合を除いて、主観に基づく言わば自己診断の域で、ウツだという不分明な診断に没入してしまうと、ますます尻すぼみ、自己成就的に意識がウツ症状で占められ、なし崩し的に滅入ってゆくばかりではないだろうか。
クスリも手放せなくなる。

ウツ症状について語る前に、例えば、しんどいときほど元気に振る舞う、痛いときほど明るく振る舞う、という心掛けが当たり前であった一世代前の、気丈な人物達に思いを馳せてみるのも一案ではないだろうか。

ウツで休職などといった報せを受ける度、決まってそのように考える。

気分が乗らないときもある。
毎度、リストが完遂できる訳でもない。
それでも、この道のベテラン、これで飯を食ってるプロである。
1mmでも、匍ってでも進んでなんぼである。

どれだけ最悪のコンディションであっても、少し進めば、機嫌直した仕事の神様が戻ってきてくれることもある。
数歩進めば、気分もほぐれ、波にのることもできる。

万一折悪しく進めなくても悔やまない。
開き直る。それがどうした明日がある。
常に流れは変わるのだ。

君たちには、本を踏むなまたぐな、机の上を片づけろ、勉強の神様に怒られると、口やかましく言い募ってきたが、そろそろ、勉強の神様が本当にいると分かってくる頃だろう。

例えば眠くなったとき、シャツを床に叩きつけ上半身裸になって机に向えば、睡魔押し退け、勉強の神様がやって来るといったように、いろいろな形でのお出ましを経験していくに違いない。

その勉強の神様が、君たちの仕事の神様になってゆく。