KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

元気の源

既に用意されている朝食&昼食バッグを持ち、明け方に事務所へ向かう。
リビングでは長男が起きて勉強している。
もう木曜やな、と声をかける。
長男が言う。まだ木曜やで。

到着し朝食。今朝はざるそばだ。(ちなみに昼食は麻婆豆腐)
このところ朝と昼はずっと手作りの弁当、夕食も野菜と魚中心の手作りである。
毎日、ミッションが立て込み気を抜ける間がない。
仕事が一段落すれば家に帰ってカラダを休め、目覚めれば仕事する。

そのパターンを崩すことができないので、外に飲みに行くことがめっきり減った。
友達に会えないのは寂しいが、家には子らがいて心の底から寛げて楽しい。
飲み屋の代替機能を家庭が果たしているといった様である。

食事、休息、睡眠は完璧だ。
家が養生の機能を理想的なほど果たしている。

そして、仕事色単色に染まった毎日がバタバタと過ぎて行く。
視野は眼前の業務に塞がれているようなものであり、それ以外の事柄がのほほんと入り込む余地がない。

体調万全であり、順調で安定した毎日であっても、こじんまり閉じているようで、少し物足りない。
意識のレベルでは停滞しているようなものである。
しっかり仕事している一方で、巨視的な切り口で見れば、何とも上滑り、日和見の迷走で、エネルギーを空費しているという見方もできなくはない。

何か目標が必要である。
日々の奮闘がより意義深くなり、意欲活力が高まり眼がランランギンギラとなるような日々を過ごすには、現状をさらに高次で捉える目標が不可欠である。

慣れて楽に過ごせる毎日も悪くはないが、どちらかと言うと、つまらない。
男子にとって、楽をする、など目標にならないという証拠である。

たとえ目玉が飛び出るほどの悪戦苦闘を余儀なくされても、目標に近づけ、自己の成長が実感でき、内面世界の深みが増すような手応えがあれば、そんなハードさなど何でもない。苦しくても充実し、幸福感さえ覚えることだろう。

これから君たちも数々の目標を掲げ、喜びに満ちた格闘の日々を過ごすことになる。

間違っても、本能的な基本欲求の充足が目標になると誤解してはならない。
先日たまたま調べ物していて、40歳過ぎのおっさんが大真面目に書く恋愛ブログに行き当たった。
思春期の青少年ならいざ知らず。
そこいくか、ないで、という不気味な話である。
40歳過ぎて人に伝えたい関心領域がそこにあるなんて、何とも情けない。そう思えるようでないといけない。

目標がないと頭がぼーとして、不本意なまま無為な時間を過ごすことになる。
これは苦しい。
自分の関心の方向性にぴったり当てはまる目標は、不思議なもので、素知らぬ顔して案外近くにあるものである。
目標は何だ、狙いは何だ、時々問うていると、かくれんぼの幕切れみたいにその答えがあっさり正体を現してくれる。