KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

ショボイ書類屋の弁

長男が親の職業について友達と語り合ったという。
友人の父は税理士ということだ。
国のお金を動かすのが仕事らしい。

帰宅し長男が言う。
なんでパパはショボイ書類屋なん、他の仕事したらええやんか。
職業的威厳という観点で書類屋は子にとって相当に頼りなくうすっぺらでみすぼらしく感じるようだ。

しかし、そうであっても当の私は大真面目に業務を日々こなし、それはもうてんやわんやである。
一点あたりの業務に注ぐ労力は相当なものだ。
責任も重く、量がかさばるだけでなくやたらと細かい。
面白半分でできるような要素はかけらもない。
ショボイかどうかなどお構いなく真剣そのものである。

当然、疲れ果てる毎日であるが、きちんとケアすれば回復できるし、仕事が少し進んでも嬉しい。
仕上がったとなれば、その爽快感は得も言われぬ。
慢性的に尾を引きへばりついて精神に堪えるようなしんどさとは無縁である。

土日も仕事するけれど、別に誰かの機嫌取る為に参上する訳ではないし、追い込まれて止むなくそうするのでもない。
みずからの選択であり、仕事のペース配分として、私にとって最も「呼吸」が楽なやり方であるというだけのことである。
そして、ますます仕事能力が向上してゆくという余禄までつく。

日々コンディション整えて、気持ち鼓舞してリングに上がり続ける。
なぜリングかというと、素朴単純、攻撃的な心性を利用するのが効果的だからである。おっとりしていては仕事に呑まれてしまう。
猛威奮って襲撃してくる仕事群を、こっちから助走つけて迎え撃つというイメージ。
時間が来れば場外に退避し、呼吸整えまた躍り込む。(大体1ラウンド25分くらいがほどよく切羽詰まってちょうどいい)

頼みにするのは、顧客から与えられてきた自己イメージのようなものだろうか。
「あいつがおる」
周囲から伝え聞く、この言葉が援軍となる。
笑うかもしれないが、自己イメージ、言い換えるとプライドのようなものが薄れるとたちまち敗走を余儀なくされる。
イメージ喚起して、踏み止まらなければならない。

手を貸して、と助力求める人が絶えたことはない。
(少し忙し過ぎて迷惑かけることも少なくない今日この頃ではあるけれど)
書類屋であるわたしがいたとして、書類屋に仕事が来る訳ではない。
わたしに仕事が来るのだと思う。
その意味で、書類屋という職名は業務内容を注釈するだけの付け足しみたいなものかもしれない。

グリーンフィンガーズという映画が印象深い。
クライブ・オーウェン演じる囚人が、刑務所での庭園づくりを通じ「俺は庭師だ」という職業的自我に目覚めてゆく。

俺は何々だ、何のてらいもなくそう言い放てることは素晴らしい。
なぞらえて言えば、少し前まで囚人(?)だったが、いま私は書類屋だ、という風になるだろうか。

結構頼りにされている。
今度聞かれたら、なんちゃってポーズでもしつつ余裕で答えればいい。
毎度おいでやす、うちの親父は書類屋や、何かおまへんか、おおきに、ほなさいなら。