KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

複眼的時間感覚

鳥肌がたちザワザワ胸騒ぎするような忙しさは続き、真正面から波を受けると木っ端みじんとなるので、ちょっと他人事のように、つまり、ワンピースの裾をあげ、波に足つけキャーと逃げるアイドルのように、浸かっては背走するという攻守を繰り返す。

昨日、43歳の誕生日でふと電車に揺られながら過去を省みて、面白い符号に気付いた。
物心ついて以来、自分史をざっくり章立てするとするなら、糊しろの期間を含め大体7~8年の分厚さで、一話完結となる。

生野少年時代、阪神塾星光受験時代、早稲田東京時代、独立助走時代、超激務西宮時代。
7~8年単位からなるこの5つで、これまでの人生が区分構成できる。

この流れでいくと、今年から全く違う8年が始まることになる。
どのようであるか、数々の兆しから想像はできても、まあ、あてにならない。
各時代の一つ前に先が見通せたことなどあった試しがない。

まさか星光に行くなんて生野在住の6年生は思ってもいなかったし、まさか東京で暮らすことになるなど思いもしなかった。
その後訪れる職業人生のハードさなど想像もしていなかったし、何とかくぐり抜けそして今現在、西宮に住んで忙しくも平和に過ごしているなんて、ほっぺつねりたくなる冗談のようである。
二人の息子がともにラブリーでナイスであるなど、知らずに過ごした半生であった。

毎日の気忙しさにぐったりしたときは、8年という緩やかな時間軸について思いを向けるのもいいだろう。
時間軸が長短二つあれば無用な針小棒大癖を免れる。

急こうが喚こうが、8年スパンのステップ学習メニューは短縮などされやしない。
であれば耳目塞いで急ぎ足でやり過ごすより、身に馴染ませるように歩調ゆるめその道程を満喫するくらいがいい。

すっかりさぼれば、地獄百景という人生になったかもしれないが、振り返れば、ちょっとくらい道草くってさぼっても全く問題なかったと気付く。
もっと旅行しても良かったかもしれない。

各章のテーマをとことん味わい尽くし、そして初めて次のステージが開かれる。
そんなイメージだろうか。
8年括りで見れば、多くとも10章程度の物語である。
各章ごとに彩られる自分の人生を、他人様にとやかく言われず、ゆっくり進む、そんな風な気持ちにひたる、新たな幕開けの日であった。