KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

綱渡り

テレビをつければオリンピックばかりである。
ロンドンに興味あってもオリンピックの競技自体にはあまり関心がない。
市内見物がてらマラソンだけは、ながら見するかもしれないが。

ニュースの時間帯だけはテレビをつけることもあったが、このところはずっと映画を流している。
今日の画面は、アンタッチャブル
いつか子にも見せたい名作だ。
流しているだけで、パワーがチャージされてくる。

今朝はやや虚脱気味だった。
目覚めはややゆっくり目の5時過ぎ。
既に公園では無数のセミ爆弾が炸裂し続けている。
何とか起き出し6時前の電車には乗ったけれど、何とも気分が冴えない。

先日の友人の話を思い出す。
かつては飲んだ翌朝の方がぱっちりと目が開き、快活に動けた。
ところが最近は、飲むと必ず寝起きが悪い。
悪いだけでなく、とても気分が塞ぐという。
何であんなこと言ったのだ、何であんなことしたのだ、ありとあらゆる悔恨の念が渦のようになって心を責め苛む。
苦しいくらいだ。

お酒によって睡眠の質が低下し、入眠中になされるはずの記憶整理が阻害され、頭が散らかったまま朝を迎える。
彼は、それが原因だろうと分析する。

飲むと脳細胞が破壊されるという俗説はあながち出鱈目な話とは言い切れず、本当にお酒によって、何かが毀損され少しずつ自失していくのかもしれない。
今朝の私で言えば、ここで何をしているのか、自分が何者なのかといった肝心要の現実を一瞬把握し損なうような心持ちであった。
気持ちがたるんで何とも頼りない。

イメージすれば、バランスを崩して綱渡りで落下し、鳩豆面となったサルみたいなものだろうか。
Youtubeで見たのだが、ナイアガラの滝を綱渡りで踏破する男性のシーンが思い起こされる。
常にバランスを取り続けるというのは、人としての根本的な在り方なのかもしれない。

バランス感覚とは、足して二で割った中庸がよい、とか、やじろべえのように左右に揺れつ戻りつ、ついには真ん中に戻るべしといったおおらかなことだけではなく、究極には、綱渡りするときのように一瞬たりともゆるがせにしてはならない気のようなものを指すのだとも思える。

だから羽目外して落下すると、気が雲散霧消し当然に落ち込みしょんぼりすることになる。
狭いというには狭すぎる綱の上を、じりじりとバランス取りながら進む。
真剣に仕事するというのはそのような状態だと、ますますそのように思えてくる。

綱渡りのメタファーは、有用だ。
綱を渡って少しずつ向こう側へ進む。
であれば、生活の諸側面や自分の立ち振る舞いについても、常に自分を保つような気を張った心がけが不可欠だ。
また、自分の綱渡りに関係のない、外野の声や、外界のあれやこれやなど、どこ吹く風と意に介さない態度度胸も重要になる。

ちゃんと綱を渡る日々を過ごせているか、自己点検する上で、欠かせない視点であろう。